Century20 CARD ONE ―魔術師のいる街―

BACK / NEXT / TOP


ACT 3

 うっそうと茂った暗い森を背に、その屋敷は月明かりを受けて建っている。
  長い歴史を物語る、古めかしい木造平屋建ての棟が広大な敷地に立ち並ぶさまは、まさに「屋敷」と呼ぶに相応しい景観を呈していた。
 正面の門をくぐり、敷石を辿って、麻里亜は真田家の玄関に立つ。家の灯りは既にほぼ消えていた。時刻はまだ十時をまわったばかりだが、真田家に限らずこのあたりの夜は早い。
 半ば期待せずに麻里亜は玄関の引き戸に手をかけた。だが予想に反し、何の抵抗もなく引き戸が横へ滑る。麻里亜は怪訝そうに首を傾げた。いくら田舎とはいえ、夜中に鍵を掛けないほど不用心な家ではないはずだ。
 そう考えながら後ろ手に戸を閉めたのとほぼ同時に、かちりという小さな音が麻里亜の耳に届いた。次の瞬間に頭上の白熱灯が光を放つ。
「お帰りなさい、麻里亜」
 和装の似合う優しげな面差しの女性が、にっこりと微笑みかけていた。

「お父様がね、おっしゃったのよ」
 惣菜の入った小鉢を食卓の麻里亜の席に並べながら、和服の女性――麻里亜の母、香子は笑みを含んだ声で言う。
「夕方頃だったかしらね。多分今日は麻里亜が帰ってくるから玄関を開けておくように、って……。そのくせ御自分はさっさと床に就いておしまいになったけれど。――はい、どうぞ」
「いただきます」
 茶碗を受け取り、麻里亜は軽く目礼して箸をとる。その様子にやわらかな眼差しを向け、香子は麻里亜の向かいに座った。――ちなみに、当然のことながら畳の間である。
「判ってはいたけれど、やっぱり凄いわねえ、お父様は。こうやって麻里亜、帰ってきてくれたもの」
「……じいさまは、勘の鋭い方だから」
「そうね。……ふふ、でも麻里亜、私もすこし誉めて欲しいわ」
「え?」
「玄関だけ開けておいて、奥の部屋で本を読んでいたのよね、私。お父様、ああはおっしゃったけれど、それでも十二時になったら鍵は閉めようと思って。……そうしたら、なんとなく玄関へ行かなきゃいけない気がして、行ったらあなたがいたの」
「…………」
 しばらくの間箸を止めて、麻里亜は母親を見つめかえす。
 長い年月のうちに薄れた真田の「血」に、今でも残るものの一つに常人より優れた勘がある。だが生来の虚弱さ故か、母香子にはうまれつき他者と比べて突出した能力はそなわってはいない。――少なくとも、ないと麻里亜も本人すらも認識していた、のだが。
「今ごろになってそういうことが出来るようになったとか、そんなことじゃ多分ないのよ。麻里亜だから私には判っただけ。母親ですもの、私だって」
「……母さんには似合わない、その台詞」
 二十代に見られることも少なくない容姿のもちぬし(実際には今年で三十五なのだが)とは実に不釣り合いな母親の二文字に麻里亜はつい笑い出してしまう。失礼な娘ねと香子は唇を尖らせた。たしかに母と呼ぶ相手にその言い草は、若干問題がなくもないのだが。
「……でも、麻里亜はいつも、そうなのね」
 ふと真顔になって香子が問いかけた。
「いつもこんなふうに、人に見えないものが見えてしまうのね」
 かなしげな目をして。あわれみの色はない。かわいそうにと言うかわりにいつも、ひっそりと笑んで口にする言葉はおなじ。
「ごめんなさい、麻里亜。判ってあげられなくて」
 ――だから麻里亜も、いつものとおりに答えるのだ。
「……母さんのせいじゃないから」
 幾度繰り返したかも知れない台詞。そうねと、表情は変えずに香子が頷いた。それもまた同じ光景、なのだ……。


 一夜明けた、翌日。麻里亜が自宅の庭の一隅で祖父を見付けたのは、まだ朝も早い時刻のことだった。
「じいさま。……冷えませんか」
「おう、麻里亜か」
 ごく自然に和服を着た、七十がらみの老人が、ゆっくりと振り向いて口許に笑みを浮かべた。白髪に口髭を蓄えた、見るからに好々爺といった人物だ。だがこの真田家前当主の厳格さが自分の比ではないことも、麻里亜は承知している。何しろ次期当主が確定したその日から、剣道はじめ武道全般を徹底的に叩き込まれた経験があるのだ。――血のつながった祖父とはいえ、麻里亜にとって世界で唯一敵にまわしたくない人物といえた。
「やはり戻ったな」
「……はい、昨夜」
 応える麻里亜の方も、今朝は薄黄の和装である。真田家では部屋着は和服というのが、ごく当然のこととなっていた。古めかしい屋敷にはこちらのほうが似合いと思えて、この習慣を麻里亜は嫌いではない。
「麻里亜」
「――はい」
「昨夜、誰に遭った」
「…………」
 無言で麻里亜は視線を逸らす。予測していた問いではあった。そもそも昨夜の遭遇を祖父に告げるのが帰宅の目的だったはずだ。
 ――ただそれを語る言葉が、まだ見付からないだけだ。
「何故そのように?」
 答えを承知した上で、麻里亜はそう問い返す。
 祖父はうすく笑ったようだった。
「習慣を破るということは余程のことなのだよ。当人に自覚がなくてもな。――半年前家を出て以来月に一度しかここに戻らなかったおまえが、一週間で二度も顔を見せる。しかも二度目は深夜にだ。何かあったと考える方が自然ではないのか?」
「じいさまは意地の悪い方だ」
 祖父の言うことは、確かに筋が通っている。だがそれだけでは足りないはずだ。昨夜の麻里亜の帰宅を予見してみせるには。
 真田家前当主の直感に不信を抱くつもりはない。それとは逆のところに、疑問の種はある。
「どこまで視ておられたのですか?」
 自分より背の高い祖父と目をあわせ、良く通るアルトで麻里亜はそう、問う。
 どこまで。――あるいは、全て。
 祖父になら視えたはずだ。
「おまえの手にした牙月が、ひどく騒いでいるのは判った」
 だが、と祖父はゆるくかぶりを振って続けた。
「集中しようとした途端に、ふっと何も視えなくなってな。それきりだ。声も聴こえなかった。――だからおまえが帰ると香子に言ったのは勘以外の何物でもないのだよ」
「…………」
 麻里亜が息を呑む。
 瀬能朔について祖父が言及しなかったのは当然のことだ。"牙月"が反応するのは人ならざるあやかしに対してのみである。特異な能力の保持者とはいえ、人間が相手であれば牙月の退魔刀としての力は発揮しえない。
 それゆえに、祖父が牙月と「同調」し、麻里亜と同じものを視ることができるのも、人外の存在と相対した時に限られるのだ。
 だが、彼は視えなかったと、祖父は言う。そこから導き出される結論は、二つある。
「あれがただの人間であったか――あるいは、じいさまを抑えられるだけの力を持った妖魔だったか。そのどちらかだと、いうことですか」
「そうだ。おまえはどちらだと思う、麻里亜」
「――あれは魔物です」
 即座に断言し、それから麻里亜は長い睫毛を伏せた。
(貴女の幸運を祝して)
 あのときもう一度逢えたらと願った。周りの空気と溶けあうことのない異質感。それが自分と似ていると思ったから。
 けれどあんな再会なら。一生逢えないほうがどれだけ良かったか。
「うつくしい、鬼、でした」
「……話せるか、詳しく?」
「――――」
 伏せていた目をひらく。昂然と顔をあげる。
「はい」
 麻里亜は頷いた。

 高都匡氏の朝は、一杯の英国式紅茶から始まる。
  起きてからの最初の十五分間を熱いティーカップ片手に過ごすのが、いつからかこの人物の習慣となっていた。朔あたりに言わせると、自分の生まれ育った環境完璧に忘れてんじゃねえの、ということになる。単に個人の嗜好の問題だろうと、匡は反論することにしているのだが。
「――さてと」
 冷めかけた紅茶の最後の一口を飲み干すと、匡は四人がけの小さな丸テーブルから立ち上がった。
 現在高都匡と瀬能朔がねぐらにしているのは、繁華街から電車で二駅プラス徒歩五分のところに位置する七階建ての賃貸マンションである。最上階隅の3LDK、というのは、部屋数は匡の、階数は朔の主張によるものだ。ちなみにその時「なんとかと煙は ……」などと匡が言いかけて、朔の機嫌をひどく損ねたというおまけもついている。もちろん相棒の機嫌などいちいち気にする匡ではないが。
「朔」
 リビングから出てすぐ、玄関から見て右二つめの寝室のドアを押し開け、暗い室内に匡は声をかけた。
「…………」
 返事はなかったが、意に介さぬ様子で匡はすたすたとベッドの脇を通り抜け、突き当たりの窓のカーテンを勢い良く全開する。たちまち朝の陽光が部屋中にあふれた。
 まぶしげに目を細めて微笑むと、くるりと匡は繰り向いた。
 ……もぞもぞ、と布団のかたまりが身動きする。数秒のブランクをおいて、寝不足気味の顔が現れた。まるでミノムシだ。
 ミノムシ君こと瀬能朔は、半開きの目のまま匡を見上げた。
「――オハよお」
 とりあえず、平和な朝――である。

 ダイニングの椅子の一つに陣取ると、朔は手動のコーヒーミルを抱え込んで豆を挽きはじめた。がりがりがりがり、という音と朝のニュースのキャスターの声と混じり、701号室はにわかに活気づいた。
 背後の台所では、手慣れた手つきで匡がフライパンを操っている。
 ――五分程すると、テーブルではプレーンオムレツとコーヒーが湯気を立てていた。サラダの器を持って匡が卓に着くのと同時に、トースターがチンと音を立てた。
「いただきまっす」
 両手をぱんと合わせて合掌すると、いそいそと朔は箸を取る。頬杖をついてその様子を眺めながら匡はコーヒーカップを手許にひきよせた。匡の前には他の皿は置かれていない。朝食は全て一人分――朔の食べるぶんだけが用意されていた。
「おまえほんと食わねーなー」
 パンにマーガリンを塗りたくりながら、朔が妙にしみじみと言った。にっ、と匡は笑った。
「ダイエット中なもので」
「…………。おまえがその台詞言うと女に恨まれるからやめとけ」
「それはどうも、ご親切に」
 匡はひょいと肩をすくめた。
 実際、匡は殆ど食事を摂らない。はたから見れば、ダイエットというより絶食に近いだろう。
 とはいえ、おかしいのはむしろ自分だということは朔も承知している。自分たち――匡と朔の二人にとって、食事は生命維持に必要不可欠な行為ではないのだ。ただ世の中にせっかく美味いものがたくさんあるのだから、味わわねば損だというのが朔の主義なのである。
 喰わねば生きていけないのは同じだ。
 けれどその対象が肉や魚や野菜とは違うものだというだけの、こと。
「…………」
 ふと箸の動きを止め、朔は思案顔をした。
「あのさ」
 ぽつりと切り出す。コーヒーを食卓に下ろし、促すように匡は視線を投げた。
「あのさあ……俺らって人間なのかな」
「――――」
「まりあが言ったんだ。俺は人間だって、だから仲間だって……昨日じゃなくて、初めて逢った時に」
「ああ。聞いたよ」
「けどさ。俺は何年たったって十七の……この姿のままだし、飲まず喰わずだって全然平気だし、殺されるか飢えるかしない限り何百年だって生きてけるんだろ。おまけに唯一の食事っつったら人の生き血だし、殺されりゃ砂になっちまうし」
 ひとつひとつ、淡々と朔は数え上げた。確認するような視線を受けて、匡はかすかに頷いて見せる。――すべて偽りのない真実だ。
「そう考えてくと全然人間なんかじゃない気になってこない? どっちかってえと化け物だろ、こんなの」
「朔が自分でそう思っているのなら、否定はしないけどね」
 匡は静かに答えを返した。
「だけど逆の位置から見るなら、俺達の容姿はどこからどう見ても人間だし、学校にも通って、健全な社会生活を営んでいるのも確かだろう? 人の生命を奪うこともない。化物退治に遭うほど人間と違っているように見えることはないと思うよ」
 ほんの一瞬ためらってから、言葉をつなげる。
「……それに生まれて十数年は、正真正銘の人間だったんだし」
 ところで卵冷めるよ、と声の調子を変えて匡はつけたした。慌てたように朔が食事を再開する。
「人かそうでないかの区別なんて案外曖昧なものさ。多数派の常識を基準にするなら、サイレント・マイノリティに属する意味では俺達も真田家の一族というのも同じ位置にいる。事実は一つでも真実はつねに相対的なものでしかない――よく言われることだけどね。だから朔、ひとつ訊くよ。……朔は、人間でいたい?」
「――わかんね」
 オムレツの最後の一切れを口にほうり込み、空の皿を積み上げながら、朔はぼそぼそと答えた。
「どーでも良かったんだよ、俺は。おまえいたから」
 本当はただ、考えたくなかっただけなのかもしれない。
 けれど確かなのは、自分をとりのこして時間が流れていくことに耐えられたのは匡がいたからだということだ。
「人間じゃなきゃいけない理由、なかったんだ、今までは。――けど」
 その次の言葉を、匡は皿を手にし立ち上がった朔の背から聞く。
「……人間の方が、今は、俺は嬉しいな」
「――うん」
「でなきゃ俺のこと仲間だって言ったまりあがかわいそうだ」
「うん」
「――――」
(ちがう)
(そうじゃない)
 一人が淋しかったわけではないと、まりあは言う。
 でもそれはきっと嘘だ。
 朔と自分が同類であると確認した直後の、あの安堵の笑みを見れば誰だって判る。
 ――だから、あのときの朔の言葉が偽りであってはいけないのだ。
「胸はって、俺は人間だって言えばいい」
 匡が笑いかける。
「それが朔にとっての、真実だよ」

◆  ◆  ◆

 異常に気付いたのは、いつだったろう。
水を飲まずとも、肉や魚を喰わずとも、老いることなく生きられる秘薬。その効果は確かだった。
 "高都"の里人の多くは、異能ゆえに社会からはじき出された者とその子孫だったから、時の権力者たちが追い求め、得られなかった永遠の生を手に入れることは彼らを捨てた社会を見返すことでもあったのかもしれない。薬の作用を疑う声も、年をとらなくなることのリスクを説く声も、彼らのなかでは少数派だった。我先にと秘薬に群がり、得られた新しい肉体に有頂天になり、幸せに幸せに里人達は過ごしたのだ。
 だが、やがて破局が訪れる。
 心身を襲った圧倒的な渇きを癒せるのは、人の――それもある特定の相手の、生き血のみであると知ることができたのは、飢餓の果ての狂乱のなかで、運良く自分に適合する血の提供者に巡り逢えた者だけだった。
 渇きに狂い、手当りしだいに人を殺し、本能のままにその血を貪り、けれどそれでも救われぬまま息絶えた――或いは他者の手にかかって死んだ者。その数は実に里人全体の七割にも及んだ。
 更に幾度かの渇きに襲われ、その度に生存者数を減らしてゆきながら、生きのびた少数の者達はいくつかのことを学ぶ。
 相手を殺さずとも、その血を糧にすることは可能であること。
 血液に直に触れることで、他者の記憶を操れること。
 そして、秘薬を飲んだ里人の血は、その秘薬そのものと同じ働きを持つということ。
 ――だが、それを知ったとて、彼らにのびる迫害の手が止むはずもなかった。あの狂気の日々以来、周辺の住人は憎悪をもって吸血鬼狩りを繰り返した。
 住み慣れた里を離れ、ひそやかに気配を殺す生活。しかも正気を失ってなしたことへの悔恨と化け物と化した己の肉体への嫌悪の情を抱えて、それでもなお、生への執着を捨てずにいられた者はごくわずかだった。千を数えた高都の里人は、十年を経てその数を百に満たぬまでに減らしていた。
 そしてその中には、狂い死んだ父の後を継ぐ、年若き高都の長の姿もあった。

「何故我らは逃げねばならない!?」
 遅かれ早かれ、いつかは聴くだろうと思っていた声だった。
「我らが望めば、天下の覇権などたやすいではないか。さすれば我らは、永遠にこの瑞穂の国の支配者だ! 我らにはそれだけの力がある、何故それを使わぬ!? 何故このように里を捨て闇に潜む!? ――それとも腑抜けたか、長……いや、匡!!」
 そしてそれを言うのが誰かも、判っていた。
 ふたつ歳上の血気盛んな青年が最後に口走った罵りに、それでも表情が凍てついた。
「口を慎むことだ」
 殺意さえはらんだ冷ややかな返答に、青年ばかりか周囲のものがみな唾を飲みくだした……そう、その眼つきさえ憶えている。

◆  ◆  ◆

 やはり麻里亜にもう一度逢ってくると、身支度を整えて朔が告げに来た。
「匡も来るか? 結局日曜の時以来逢ってねえんだろ」
 すでに玄関へ向かいつつも律義に問いかける朔に用事があるからと謝って、匡は笑顔で朔を送り出す。
 彼は、知らない。匡は麻里亜には二度、逢っているのだと。
 手ひどく傷つけた。あの淋しい少女の一番恐れていたことをやってみせた。
 ただの他人ではない――ささやかな好意すら抱いた人物が、自分が斬らねばならぬ妖魔であったと知らしめたのだ。
 ころすことにおびえている優しい少女には、それは何よりも苦痛であったはずだ。
「怒る……だろうね、おまえなら」
 閉ざされたドアへ匡は呟いた。
 知らなかったと、望んでしたことではないと、言うのは簡単だろう。
 だがそうやって逃げる気は、匡にはない。責めは全て受ける。たとえ自分のしたことで、朔に憎まれようとも。
(だけどまだ駄目だ)
 まだ、計画は終わってはいない。
 本当に酷いのはこれからだ。
「…………?」
 ぴくりと片眉が揺れた。
 視線を転じる。なにもない淡いクリーム色の壁の、向うへと。
 匡はわずかに目を細めた。その双眸に青みがかかる。

 かァごめ かごめ かァごのなァかの とォりィは

 舌足らずな童女の歌う声。
 ――いや、声ではない。音声の届くほど近くに、歌声の主が……『あや』が居るわけではない。
 これは、思念だ。
「近いな」
 ひとりごちながらも、既に匡の足は玄関へ向かっていた。だが靴を履くかわりに片手で拾い上げると、踵をかえし最奥の居間へ戻る。
 十二畳の洋間の南側、ほぼ壁面いっぱいを占める窓の外にはベランダがある。無論アルミサッシを開ければ出入り用のサンダルは並んでいるのだが、匡はそれを無視して持参の革靴を履いた。最後に周囲に人目のないことを確かめると、匡はひらりと手すりの外の空中へと身を躍らせた。
 七階分の高さである。普通の人間であれば自殺行為以外のなにものでもない。
 だが匡は、楽しむように一度くるりと一回転すると、物音ひとつ立てずに地上に降り立った。そして走り出す。束ねずにいた黒髪が肩から浮き、宙に流れた。



ACT2へ /ACT4へ /もくじへ