Century20 CARD ONE ―魔術師のいる街―

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ACT 2

かごめ かごめ
かごのなかの とりは
いついつ でやる
よあけの ばんに
つるとかめが すべった

――うしろのしょうめん、だあれ。

「――誰?」
 三つ編みを揺らして、少女が振り向いた。
 誰かに名を呼ばれた……と、思ったのだけれど。
(気のせい、かな?)
 肩越しの視界に、こちらを向いた人の姿はない。小首を傾げて、少女は重たい鞄を持ち直した。
 ……ため息。
 学生鞄の中身は、学校と塾の勉強道具だ。時代錯誤な黒の学生鞄なんて、それだけでも腕にずしんと来るのに。
 高校入るまでの辛抱よ。なんて親は言うけど。でも嘘。それは嘘だ。
(判ってるのに)
 だけど反抗する勇気もない、から。
「逃げちゃいたいなあ……」
 足を止めて、紺色の空に浮かんだ満月を見上げて、少女は呟いた。
 呪文のように。
「逃げちゃいたい、な」

かごめかごめ かごのなかの とり は

「にげちゃえば?」
 まうしろから、ふいに声がした。
 目を見開いて、おさげの少女が向きを変える。
 街灯のあかりをスポットライトのように浴びて、勝ち気な表情の少女が立っていた。
「にげちゃいなよ。つれてってあげる」

いついつ でやる よあけのばんに

「……あなた、誰」
「あたし?」
 同年代か少し年下に見えるその少女は、どこかコケティッシュに笑った。
「あたし、あや、よ」
「あや?」
「うん。ねえ、一緒に行こうよ」
 『あや』の差し出した右手にひきよせられるように、少女はふらりと足を踏み出している。
「……いっしょに……? 何処へ……?」
「なあんにも、心配しなくていい所へ」
「ほんとに?」
 うふふ、と笑い声。
「ほんとに」
 ――きいん、と空気が鳴った。

つるとかめが すべった うしろのしょうめん

 わらべうたと、あやの笑い声が耳の奥にこだまする。
(気持ちいい、な)
 ふわふわとした雲の中にいる気分。
「ねえ」
 呼びかける声まで、どこか非現実だ。
「あたしと来る?」
「……あや、と」

うしろのしょうめん だ あ れ

「あやと一緒に」

  ――刹那。
「その台詞を言ったら駄目なんだよ、お嬢さん」
  そんな声が割りこんできて、そして一瞬の後――
  目前で、すきとおった青光が炸裂した。
  無音の爆発。
「きゃあっっ」
  あやが顔を覆ったのが、光の向こうに見えた。
  ……何故だろう、と漠然と考える。
  光は眩しかったけれど、目を灼くものではなかった。むしろ優しさを感じたくらいだ。……『あや』は、そうは感じなかったのだろうか?
  光が去ると同時に、正常な視覚と聴覚が戻ってきていた。そして彼女は見た。
  かつんと靴底を鳴らして、守るように背後から、忽然と登場してみせたひとりの少年を。
「こんばんは、お嬢様方」
  綺麗なテノールの声がおおまじめに場違いな台詞を吐いている。――そこまでが限界だった。意識がブラック・アウトして、空白だけがそのあとに残った。

「――おっと」
 目の前でくずおれた三つ編みの少女の体を腕を伸ばして支え、高都匡はかすかに吐息をもらした。細心の注意を払ってそっと、アスファルトに横たえる。
「あやの結界が、破れちゃったわ」
 拗ねたような声が、背後で聞こえた。ゆっくりと匡は振り返る。左膝と右の掌をアスファルトに触れさせたその姿勢のままで、後ろに倒れ伏した少女を庇うように。
「『あや』? それは貴女の名前なのかな」
「そうよ」
 胸をはって答えるあやを、匡は冷静に観察する。年の頃はせいぜい十四か。小花を散らしたプリント柄のコーラルピンクのワンピースに白いカーディガン、ふわふわと柔らかそうな肩までの髪に包まれた、あどけないという表現の似合う顔――全体に、可愛がられた育ちの良い女の子、だ……外見は。
「それじゃあもう一つ……『あや』は何?」
「しらない。あやはあやなの。それだけ」
 つん、とあやはあごを反らした。嘘をついているようには見えない。おそらく本当に知らないのだろう……自分が、何と呼ばれる存在であるか。
「そうか」
 それきり匡は口を閉ざした。
 沈黙を破ったのは、あやの方だった。
「……ねえ、そこどいてよ」
 匡は答えない。唇を尖らせてあやは繰り返した。
「どいてったら。あたしその子が欲しいの。つれてくって約束、したんだから」
「……連れていって、それからどうするのかな」
「教えてあげないもーん」
「それじゃあこっちも渡す訳にはいかないよ」
「だめって言うんだったら、勝手につれてく」
 つかつかとあやが歩み寄る。匡はわずかに右手に力を込めた。一瞬後、ばちんっ! とあやの足許で青い花火が散った。
「――いったあーい……結界なんか張ってるんだ」
 不機嫌そうな表情を、あやは幼い顔に浮かべた。
「めんどくさいな……やーめた」
 不意に、くるりっ、と踵を返す。
「ばいばい」
 無邪気な捨て台詞を残し、ミニスカートをひらめかせてあやはあっさりと走り去った。
 アスファルトから右手を離し、後を追おうというそぶりは見せずに匡はその背を見送った。ピンク色のワンピースが三ブロック向こうの角に消えるのを確認し、やっと立ち上がる。苦笑がもれた。
「『あや』……ね」
 ちいさく呟く。
「う……ん」
 足許からかすかな声が聴こえたのがその時だった。表情を改めると匡は膝を再度おりまげてかがみこむ。
「大丈夫?」
「…………」
 少女のうっすらと開いた目の焦点がまだ合っていない。不安定に揺れる瞳をのぞきこんで、匡はふっと眉をひそめた。少しばかりショックが強すぎたようだ……幻影と現実のあいだをあまりに急に行き来したせいだろう。無理もない。
(どうしようかな……)
 考えをめぐらせる匡の耳に、ごくごくわずかな足音が届いた。――近付いている。まっすぐに、ここへ。
 匡は顔をあげた。唇が笑みを刻む。

 りん、りん、と一定の間隔を置いて、牙月は甲高い音を発し続けている。
  心なしかその間が、さいぜんより短くなったようだ……。麻里亜は唇をひき結ぶと、その足を速めた。
 いくつめの角を曲がった時だったろうか。
 りいん、とひときわ高く牙月が高音を響かせた。こまかな震えが腕に伝わる。目を細めた麻里亜の表情が、鋭さを増した。
 ゆっくりと――だが緩慢さとは無縁な動きで麻里亜は首をめぐらせる。
 その双眸が、大きく見開かれた。
「やあ……こんばんは」
 月光にも似たつめたい街灯の光のもと――
 ついと見上げたつくりもののような美しい顔を、見忘れる訳がない。
(……まりあ)
(貴女の幸運を祝して――)
 たった数日前だ。出逢ったのは。
 すらりと細い肢体を黒服に包んで、優しい色のショールを肩に揺らして綺麗に微笑んだ謎めいたストリート・マジシャンに、穏やかなテノールで名を呼ばれたのは。
「…………」
 麻里亜は唇を動かして、なにごとかを告げようとした。だがかわいた吐息以外に、口をついて出たものはなかった。
 ただ両の目を瞠って立ち尽くした。
 偶然に再び出逢ったという、それだけのことではなかったのだ。
 ――目を奪ったのは、真紅。ひとすじの紅。……血の、いろ。怪我ひとつない唇の端からつうと流れてアスファルトに落ちたひとしずくの。
 抱きかかえるようにして、彼は一人の、制服姿の少女に腕をまわしていた。その白い首に、小さくぽつりと二つ、赤い点がにじんでいる。
 それは――牙の痕、なのだ。
 先刻の、牙月の共鳴が起きた直後に目に飛び込んできた光景が、麻里亜の脳裏に鮮やかに甦った。
 身動きしない少女の首に、唇を這わせた細身の影が、気配を読み取ったのかぴくと動いて。
 顔をあげて笑った。
 そのとき初めて、自分の見たものの意味が判ったのだ。
 血塗れた二本の、奇妙に長く鋭い犬歯が、ひどくグロテスクにそれを証明していた。
 名も知らぬ美しい手品師が、人の血肉を喰らう鬼であるということ――を。
「……吸血鬼……」
 やっと押し出した声はかすれて、自分のものには聴こえなかった。
「そうだよ」
 手品師が答える。あっさりとまるで当然のことのように。いままでと全く変わらぬ口調で。
 瞬間、麻里亜は理性を取り戻した。
「――ばけものが……!」
 あるいは、戻ってきたのは感情かもしれない。低く、おさえたアルトの声音からは、本人にすらその是非は判別しがたかった。どちらにしろ意図は同じだ。違うのはその理由が自分の役目故のものか……それとも、いいように騙された怒り故かということだ。
 どちらでもいい、と麻里亜は強引に結論づける。そして牙月を握る両手に力を込めた。
 かみしめた歯の間から、問いを一つしぼり出す。
「答えろ……その子はおまえたちの仲間にするのか。あるいはここで……死ぬのか」
「いや。どちらでもないな」
 それでもまだ、彼の物腰は変わらなかった。初めて逢った歩行者天国の路上でそうしたように、あくまでも優雅に、絶えず笑みを浮かべて。
「簡単な記憶操作だけ……あと十分もすれば目を醒ます」
「信じろというのか?」
「貴女が自分で確かめてみればいい」
 その台詞を最後に、麻里亜の視界から手品師の姿がかき消えた。
 正確に言えば、その瞬間、四方から突風が麻里亜を襲ったのだ。小さな竜巻と化した風に長い髪をあおられ、また顔を両手で庇ったために視力がゼロと化したその短い隙を狙いすまして、どこか麻里亜の死角となる所へ彼は移動したらしかった。
「また逢おうね、まりあ」
 びゅうびゅうと耳許で鳴る風にいかにして割り込んだのか、驚くほど鮮明な声でそんなことを囁いて、それきり本当に手品師は姿を消した。
「…………!」
 無言で麻里亜は唇をかみしめる。完全に手玉に取られたも同じだ。こんなことは初めてだった。
 ――いつのまにか風はやんで、静寂が戻って来ていた。
(なぜ?)
 心の奥底で、ひそやかに問う声がする。
(なぜ私だけこんな思いを)
(こんな哀しみを背負わなければ)
「理由などない。――要らない」
 虚空へと声に出して麻里亜は答えをかえした。
 くるしげに。けれど面を上げて、正面を見据えて。
 言い放つ。
「さだめだ」

「――まりあ!?」
 聴き憶えのある声が、背後でした。
 肩を揺らがせて麻里亜はのろのろと振りかえる。
「……何故ここにいる」
 ぽつりと、問う。
 瀬能朔は、困ったように見下ろして笑った。
「なんか、逢えそうな気がしたからさ。……まりあ?」
 言葉を切って、朔は気遣うような表情になる。
「……泣いてるのか?」
「私が? まさか」
「でも泣きそうな顔、してた。何かあったのかよ」
「…………」
 しばらく無言のまま、麻里亜は朔の顔を見上げていた。
 やがて、ふ、と目を逸らし、そのまま背を向ける。
「まり……」
「聞いてくれるか。瀬能」
 静かな、抑制された声で麻里亜はそう、告げた。
 背を向けた姿勢はそのままに。
「真田の……私の家の話だ」
「ああ。いいよ」
「――ありがとう」
 表情は見えない。けれどその時、麻里亜は微笑んだのではないかと、朔には思えた。

「昔、この地には竜神が棲んでいたと伝えられる」
 低く、麻里亜は語りだす。
「その竜神を地中に封じ、初めてこの地に住みついたのが真田家の祖と言われている。室町時代の若侍だったそうだ。伝説ではその時、若侍は封印した竜神の尾を喰らったという」
 真田の血をひく人間が、奇妙な力を持つようになったのがそれ以来のことだ――と、伝説は続いている。
 そして当時件の侍が竜神封印に用いたのが、真田家に代々伝わる退魔刀「牙月」だとも。
「――ここまでが言い伝えだ。全てが真実かどうかは確かめるすべはない。……私が知っているのは、真田家の各代の当主はまた牙月の継承者でもあるということ、そしてこの街の『護り役』の役目を担っているということだけだ」
 「……真田の、当主?」
 麻里亜が手にした、かざりけのない日本刀に目を遣って、朔は訝しげに呟いた。視線に気付いたのだろうか。麻里亜はかすかに身動きした。
「そう……今は、私が当主ということになっている」
 感情を消した声が告げる。
「先代は私の母方の祖父だ。祖父には身体の弱い一人娘――私の母しか子ができなかった。昔は真田の者は肉体的にも常人より勝ることが多かったらしいが……血が薄れたのか、今では真田直系にすら、牙月と共鳴する程度の力しか顕れない。人並みに走るのもままならぬ母に、『護り役』を委ねるのは確かに酷だったろう」
 それならばと、はじめ先代は分家から婿取りを考えたらしい。だが結局、麻里亜の母が大恋愛の末十八で結婚したのは、真田家とはまったく血縁のない男性だった。
 そしてその夫婦にもまた、麻里亜という娘しか生まれなかったのである。
「父が死んだのは私が十一の年だ。皮肉な話だ、母は自分が絶対先に死ぬものと信じて疑わなかったというのに。気の毒なほど取り乱して……本当に、仲の良い夫婦だったから」
「……まりあも、好きだったんだろ。親父さんのこと」
「ああ……そうだな。優しい人だった」
 向けられた背中は動かない。
 けれど先刻よりは確かに柔らいだ声で、麻里亜はそんな答えをかえした。
 そして訪れた短い沈黙を壊さないように、朔はひとことも発さずに次の言葉を待った。
 さらさらと空気に同調する薄茶の髪を眺めながら。
「――母に再婚の意思はなかったし、祖父もいい加減高齢になっていた。私以外に牙月を受け継げる人間がいないということが確実になったのがその時だ。それでも二年、祖父は現役であり続け……私が当主の座を受け継いだのは十三の春、今から二年半前のことになる」
 再び口をひらいて、単調なアルトがそう続けた。
「『護り役』ってやつ……具体的には何する役目なんだ?」
「先日、瀬能の言っていたのと同様のことだ。封印された竜神のせいなのか、このあたりは妖魔の類をひきよせやすい土地柄らしい。真田に伝わるのは、牙月を使いこなしてそれらを鎮める力と役目だ。今ではその事実を知る者もごく僅かだが」
「そーだよなあ……あんまし他人には言えねえよなあ、こんなこと」
 苦笑をにじませて、朔は相づちを打つ。
 それからふと真顔になり、こうつけくわえた。
「それじゃあさ、きつかったよな」
「…………」
 ぴくりと、麻里亜が肩を震わせた。
 重ねて朔が言う。
「独りで淋しかったろ……麻里亜」
「――違う」
「え?」
「違う、そうじゃない……!」
 殆ど叫ぶように言いながら、麻里亜は勢いよく振りかえった。
 ひどく必死なその様子に朔は目を瞠る。言いかけた台詞が喉の奥で消えた。
「そうではなくて、私は……私が判らないのは……」
 語勢を弱め、激情を恥じるように顔を伏せて、麻里亜は口許を覆う手のしたから途切れがちに声を押し出す。
「私はただ――私は、つみびとなのだろうか」
「……なんだよそれ?」
 脈絡というものが抜け落ちている気がする。眉根を寄せて朔は問い返した。
 直接に答える言葉はない。そのかわりなのだろうか、左手を口から離し、麻里亜は一度強くかぶりを振った。――なにかを、振り切るように。
 そして顔を上げた時には、その美しい面から動揺は既に拭い去られていた。
「すまない。言っても仕方のないことだった。忘れてくれていい」
 人形のようなつめたく冴えたポーカーフェイス。
「話を聞いてくれて感謝する。――また逢おう」
 胸許の、黒いスカーフを翻し、麻里亜は再び背を向けた。そしてそのまま夕闇の中へ歩き出す。
「まりあ」
 ためらうような表情でそのあとを追おうとし、けれど結局そこに足を止めて、朔は小さく呼びかける。
「まりあ。……ごめんな」
 遠ざかる背中から、返る言葉はなかった。――二度と。



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