Century20 CARD ZERO ―愚者の行く末―

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ACT3


 一般市民の皆様に迷惑をかけるといけないから、という理由で、匡が告げた地点は昨夜の公園であった。マンションからは結構な距離だ。
「あちらにとっても存在を知られるのは得策ではないからね。人間の集団とは恐ろしいものだから」
 移動中の駅などで襲われることはあり得ないのか、という奈央の問いに、匡はそんな答え方をした。
 むしろ紫戒のほうも、こちらがなにか動きを見せるのを待っているだろう。
 ほかの人間を巻き込まないためには、紫戒を動かせてやるのが最善の方法と言えた。
 その理屈は、奈央にも判る。だが――。
「……怖い?」
 斜め上から覗きこまれて、奈央は首を横に振る。そうではなくて。
 がたんごとん、と電車は単調な音をたてる。夕方の、そろそろ混みはじめた車両。
 日常の、なにも変わりのない一場面。
 そんななかに、少しの違和感もなく溶け込んだ二人が異質の存在であるなど、一体誰が知り得るだろう。
 とても当たり前に、普通の人間のように、そうやって生きるのが彼らの望みならば。
(わかんないな)
 どうして。
(あたしなんか助けようって)
 命の危険。けれどそれは、奈央に関わることであの二人にもかかるはずだ。
 身にかかる火の粉、ならば払わねばならなくても。
 見ぬふりをすることなら出来る。平穏無事な生活を選べる。
(食糧、なんだし……あたしたちは)
 たとえば鶏が目の前で殺されそうだったとしても、身体を張ってそれを止めようとは自分は思わない……。
 奈央が「普通とは違う」から? 同類だからだろうか? ……それも、たぶん違う。最初にあの公園で、己夜から救ってくれた理由にはならない。
 アナウンスが、自宅最寄の駅名を告げた。鞄を持ちなおして、奈央は左隣を見上げる。
「次。降りなきゃ」
「了解」
 朔が頷いて応じたところで、タイミングよく電車が停止した。
 ぽん、と軽く奈央の肩を叩いて、促すように朔は階段へ向かう。
「心配すんなよ。ちゃんと守ってやる。今日中に全部カタつけてやるから」
「……うん」
 頷くことしか出来なかった。

 公園の中央にある水銀灯の傍らに、匡は片膝をついた。
 意識を切りかえる。瞳がふわりと、独特の青光を帯びた。
 オーラ――高都の妖術師が、生気光と呼び習わした光だ。色は術者の性質を表す。
 瀬能朔のように、光そのものを武器として扱うタイプでは、その色は「赤」。
 高都匡であれは、主としてそれは精霊を配下に置く用途――純粋な精霊魔法の術師としての光は、「青」の色を持つ。
 そして「白」のオーラを宿す紫戒は、その光を媒体に精霊を宿らせ攻撃に用いる、二種の中間の能力者であるはずだった。
「地の結界」
 地面にぴたりとつけた右手に力をこめ、静かに匡は声を放つ。
 青光がゆらめいた以外、奈央の眼には変化を感じ取ることは出来なかった。だがおそらく、これが「人除け」であることは想像がつく。
「出てきたらどうだ? せっかく結界まで張ってやったんだしさあ」
 匡が立ち上がるのを眼の端で確認し、朔はあっさりとそう言い放った。さりげなく奈央の肩に手を置いて。
「――おや、ばれてたのか。そいつは参ったな」
 忽然と背後に男の影が出現したのと、朔の右手で赤光がブオンと唸りはじめたのが同時だった。
「話し合いの余地はない……かな?」
「手を出さないと誓うなら、あるいは応じるかもしれないが」
 これに答えたのは匡だ。
「そいつは無理な話だ。俺にも生存本能という奴があってね……」
「残念だな」
 短く応じて、匡は会話を打ち切った。
 もとより意思の疎通など無意味――だ。
 ただ勝者を決するのみ。
 匡の右手がゆらりと動きを見せたのが合図だった。
「ふうッ……」
 喉の奥で吐息ともつかない唸りを発し、朔がかるがると跳躍した。
「己夜!」
 紫戒の脇をヒュッと影が走る。濃緑の髪を躍らせて、小柄な傀儡――己夜が朔を狙って右足を繰り出した。
 その動きが完全に朔をとらえたかに見えた瞬間――。
「ぎゃあああっ!?」
 身体を仰け反らせて絶叫したのは己夜のほうだった。ごふっ、と大量の血を吐き、瞳のない眼を己夜は憎々しげに光らせる。
 剣のかたちをとった赤光が、寸分も狂いもなくその左胸を貫いていた。
(うーっ……)
 血の気の引いた顔を、奈央は背けた。
 殺し合い、なのだ。これは。
「手加減しねえぜ、今回は」
 返り血を浴びた朔が、赤光を勢いよく己夜の胸から引き抜く。
 仰向けに倒れた己夜の身体から、しゅううっと奇妙な音がした。小学生ほどの肉体が空気が抜けるように縮んでいくのを、なんの感情も宿らない瞳で朔はじっと見下ろしていた。
「ほぉう?」
 あざけるような声は、紫戒の発したものだった。
 身をかがめて朔の足許の小石を拾い上げる。――それが己夜……"傀儡"のなれの果てだった。
「なかなかやるじゃないか、坊主。感心したぜ」
「嬉しくねえな、てめえに誉められても」
「素直な感想を言ったつもりなんだがな……」
 大仰に肩をすくめて見せる紫戒に朔は舌打ちを返した。いちいち気に障る。
「じゃあ今度はこっちから行ってやろうかね?」
 その台詞がまだ終わらぬうちに。
 ドウッ、と白い衝撃波が放たれた。なんの小細工もなくまっすぐに。
「朔」
「わあってる!!」
 呟きのような匡の声に一言叫びかえし、朔は上段に構えた両手を思いきり振り下ろした。かっ、と光が爆発した。
「二度も通用させるかよッ」
 腕を下ろし、朔はそう吐き捨てた。
 紫戒がかすかに眉根を寄せる。
「予想外というわけか? 俺たちも低く見られたものだ」
 奈央を背後に庇う位置で、そう挑発的な台詞を発したのは匡だった。
「ならば死んで後悔するがいい」
 冷ややかな宣告。完全に紫戒を見下したその声音に、朔でさえ息を呑んで匡を見返った。
 ひどく傲然とした表情のまま、匡は言葉をゆっくりと紡いだ。
「地の精霊、千里の眼持つ仙老よ、いま我の願いを聞き届けよ」
 両眼が鮮やかな青色を纏う。
「我、高都の長おさなるもの。いま、我が許に集いて、かの者に滅びを与えん――」
 それはまるで、侵しがたい神聖な儀式であるかのように――。
 ただそこに立っている、それだけで、彼は圧倒的な存在感を持ち得た。世界を構築する四大元素を支配下に置く高都の精霊魔術――その頂点に立つものとして。
 長の称号を名乗り得るものとして。
「高都の……長、だと……!?」
 紫戒が瞠目した。
 その表情はやがて、自嘲の笑みにとって代わる。
「つくづく俺も運がいいというものだな、これは……。だがね、大の大人としておまえさんみたいなお綺麗な坊主に負けるなんざ、こっちの面子が立たんのさ……!」
 片手で顔を覆い、くっくっとしつこく笑っていた紫戒の姿がふとかき消えた。
 正確には跳躍だ。そして右手に作り出した光球を、紫戒は匡めがけて放つ。一瞬の動きだった。奈央が悲鳴をあげかけ、朔がちっと舌打ちをし、そして匡は。
 ただ一言。
 美しいとすら思わせる笑みを浮かべて。
「遅い」
 ――宣告。
 鮮血が散った。返り血すらも浴びぬ姿で、匡は視線を足許に移した。
「何故だ……!?」
 全身を紅に染め、それでもなおその双眸をぎらりと光らせて、紫戒は激しい言葉を血とともに吐き出す。
「高都の長ともあろう者が……それだけの力を何故利用しない……!? 何故人間ごときをそうまでして庇おうとする! 我々よりはるかに劣る者どもを……!!」
「知らないのか?」
 匡が冷ややかに問い返した。
「けして歴史に姿を見せてはならない。高都の掟だ。おまえが誰から血を受けたのかは知らないが、聞いておくべきだったな」
「掟だと……!? すでに高都の里など滅して久しいものを!!」
「だが血脈は絶えていない。……呪われた吸血鬼の血筋だ。――それにもうひとつ、付け加えておくことがある」
 いまだ青色を纏う瞳が、再度煌いた。
「な、に……?」
「俺は人間が好きだ。人間でありたいと思っている。――たとえかなわぬ望みであろうと」
 ドウ、と空気が震えた。
 至近距離から衝撃波を受け、声を立てる暇もなく紫戒が絶命した。激しく痙攣する肉体は、やがて急速に風化していった。
 死ねばその存在すら残らない。彼らが忌み嫌われ、憎悪された理由のひとつだった。
 哀れみなど無縁の表情で見下ろす匡の目の前で、結界を解いたことで流れはじめた空気が、かつて男の肉体であったものの残骸を跡形もなく散らした。
「匡……」
「これで、終わり、……だ」
 控えめな朔の声に独り言のように答えが返った。張り詰めていた空気がそれで心なしか和らいだようだった。
大きく息をつき、匡は崩れるようにその場に座りこんだ。
「おい……大丈夫かよ?」
「まあね。ちょっと疲れたかな」
 肩をすくめた匡の唇に、ちらりと笑みが浮かぶ。朔が呆れたように見下ろした。
「自業自得じゃねえの? ひとりで突っ走るからだぜ」
「返す言葉もないよ」
「……ったくなー」
 手におえない、と言いたげに朔はため息をつく。
「ああ、そうだ。奈央さん」
 ふと、匡は目線を移動させた。
 匡と朔の二人から数歩離れた位置に立っていた奈央が、その声に反応してぴくんと身体を震わせた。
 ゆっくりと匡に向けられたその瞳にまざまざと現れているものは――。
 言いかけた言葉を切り、は、と匡は息を吐いた。
 それは恐怖だ。根源的な。
 自らを喰らう化物、への。
 もうすでに見慣れた表情だ……。今までの四百年の間で。何度も。
「――俺のカードを返してもらおうか、とりあえずね」
 事務的に変化した口調の台詞のあとには、聞き取れぬほど低い呟きが続いた。
 やわらかな光が、下から奈央の顔を照らした。
「…………?」
 のろのろと奈央は下を向く。
 光源は、制服の内ポケットの中の、一枚のタロットカードだった。奈央が取り出したそれを、不自然な動きで風がさらい匡の手許へ送り届けた。
 奈央に、記憶の消去は効かない。どうしたものか、と匡は座りこんだまま思案する。
(このまま消えるのが……一番かな……)
 無意識に左手が、取り戻したカードを弄んでいた。二十一を表すローマ数字と、The Worldという文字に挟まれて、美しい女性がひとり描かれたカード。
 あれはなんだろう……ぼんやりと奈央は思いを巡らす。
 鮮やかな色彩が揺れて。それを持つのは白い指。左手。地面に広がった白いコートの裾。白さに映えて長い黒髪が風に躍る。そしてその滑らかな黒髪に覆われて。
(――ならば――)
(ならば死んで後悔するがいい――)
 冷ややかに、とても簡単なことのように、紫戒を見下した端正な面おもてが。
 サファイア色を帯びた透徹な瞳のその光が。
 理由などなく、ただ――怖かった。
 とても怖くて……でも。でも、彼は。彼が動いたのは。
(あたしを、守って……くれた)
 ただの通りすがりの他人にすぎない少女のために、身体を張って。
(怖いのと、優しい、のと)
 どちらが本当なのだろう?
 奈央には選べない。

「匡」
 ぽつり、と、朔が呼びかけたのはどのくらい経ってからだったろうか。
 先刻までの戦いなど忘れ去ったのかと思わせるほどの、日常そのままの声、だった。いかにも瀬能朔らしい。
「いいかげん引き上げようぜ、ここ。……立てねえのか?」
「腰が抜けたらしくてね」
「あのなああっ……軽口叩けんなら平気だろっ。ほれ、手」
「どうも」
 差し出された手に、何気なく匡は応じた。そのとたん、だ。
「お、かかった」
「? ……なっ」
 訝しげに寄せられた匡の眉が、次の瞬間見事に跳ね上がった。
「ちょっ……朔! 離せ、この手を」
「やーだよん」
 両腕でかるがると匡の身体を持ち上げて、かぎりなく意地の悪い笑みでもって朔は答えを返す。抱きかかえられる、という格好でさすがに慌て気味に、匡は至近距離にあるその顔を睨みあげた。もはや抵抗は捨てている。じたばたともがくのは彼の美学には反していた。
「……なんのつもりだ?」
「なにって。おまえ今立てないじゃん。だから運んでやろうって、この親切心が判らないかなあ」
「…………。そうか。よく判った。よっぽど死に急ぎたいと見えるな」
「だ――ッ! なんなんだそのねじまがった性格はっ」
「その台詞そっくりそのままお返しさせていただこうか」
「おーいー……」
(な、なんかこの人達って……)
 じゃれあいにしか見えないやりとりに一気に脱力して、奈央は口を挟む気力もないまま呆然と立ちつくした。
 先ほどの恐怖感が嘘のようだ。これでは畏れなど、抱こうとしても抱けない。
 あまりにも……普通、で。
(考えなくても、いいのかもしれない)
 どちらが本当の姿かなど。
 暖かさと冷たさと、きっと同時に持っている。――それが普通のことではないだろうか?
 ――人間、ならば。
 なにか晴れ晴れとした想いで、奈央は顔をあげ、見た。
 いつの間にやら朔の腕から抜け出ていた匡が、こちらに背を向け歩き出した。いつでも支えられる距離を保って、朔が続こうとするところだった。
(あ)
(行っちゃう――)
 思考が形をとるよりも早く、足が勝手に動いていた。理由など、背を向ける前に匡が一瞬だけ見せた、あの瞳のいろだけで充分だった。
「……待ってよ……!」
 がしっ、と二人の腕の片方ずつに思いきりしがみついて、奈央は乱れた息を整える。
 驚きをはっきりと示した二対の眼が見下ろした。何故、と問うようなまなざしだった。
「行っちゃ駄目だよ。まだ駄目」
「え……?」
 二人ぶんの戸惑った声が、重なって返ってきた。くす、と奈央は小さく笑う。
「だってあたし、また狙われるかもしれないじゃない。守ってよね。約束でしょ?」
「ああ……それは、でも」
 匡の台詞の先を、多分奈央は知っている。
「約束!!」
 だから、言わせない。もう守らなくても大丈夫、なんて言葉は。
 くっくっくっと喉を鳴らして朔が笑いはじめた。降参のポーズに両手を上げて。
「参った、俺らの負けだぜ匡。奈央ちゃん強えわ」
「なあによおっ」
 唇を尖らせて、見上げる。ことさら拗ねたように。それで彼らが楽な気持ちになれるなら。
「どうしても春には、別のところへ行かないといけない。……それまででもいいかな」
 小さく首を傾げて、匡が確認した。充分、と奈央はにっこりと微笑む。
「……それじゃあ、お姫様」
 悪戯っぽい口調で、匡が右の手を差し出した。
「どこに行くの?」
 その手に手を重ねてうきうきと奈央は訊ねる。
「そう……とりあえず乾杯かな。実は部屋に秘蔵のドンペリが一本」
「あ、おまえひとりで飲むつもりだったな!? 俺知らねえぞそれッ」
「まあまあまあ、いいじゃない結局飲めるんだし。早く行こうよ」
「結果論に走るのは趣味じゃないぜ、俺は」
「気に入らないのなら飲む必要はないが、朔?」
「……ちきしょおおおッ」
 左ストレートKO負け、である。悔しそうに唸る朔から、ふと奈央は逆サイドを振り返った。
「――ところで乾杯って、なにに?」
「乾杯の理由? ……そうだな、考えてなかった」
「じゃあ、いいかな。あたしが決めても」
「どうぞ」
 両側の二人の顔をゆっくりと見比べて、奈央は笑みの形をした唇から、言葉を紡ぎ出す。
「あのね」
 とても大切、な――言葉。
「あたしたちが出逢えた幸運に。……そして、友情の永遠に」

 ――乾杯。
 未来はまだ見えないけれど、貴方はここにいるから。

Fin



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