水たまり、あるいはそうでないなにか

 雨上がり、月のない夜。
 ふと足を止める。目の前に広がる、ちょうど自分が手を広げた程度の大きさの水たまりを、じっと見下ろした。
 ――水たまり、の、はずのもの。
 それと判断したのは雨上がりという状況と、遠い街灯の明かりのなかでわずかに反射するきらめきと、あとは経験則というもので。
 そういったもろもろをすべて脇によけてただ眼下のものを見るならば、それはただの、暗い色をしたなにか、だ。
 あるいはそれは血だまりかもしれないし。
 あるいはそれは一歩足を踏みいればとたんにずぶずぶと沈む底なし沼かもしれないし。
 あるいはそれは、かれをどこか遠い世界へと引き込む扉かもしれない。

 水たまりであるならば、少しよけて歩けばいい。そうして5分後には、そんなもののことなど、すっかり忘れてしまうだろう。
 けれど。

 ――想像力がないんだわ。

 そう言い放ったひとの顔が脳裏に浮かんだ。
 眉をひそめて、唇をすこし震わせて。その顔は、怒っているようにも悲しんでいるようにも、そのどちらでもないようにも見えた。

 ――だからいつまでも、わたしの気持ちをわかってくれない。

 そうつぶやいて、うなだれた彼女の真意が今もって理解できない自分は、たしかに想像力というものに欠けているのだろう。

 水たまり。
 あるいは、水たまりではないかもしれないもの。

 ふと足を入れてみる。ぴしゃりと音がした。
 少しかがんで、手を触れてみる。手触りもにおいも、血液やその他の、水でないなにかのようではない。
 暗いなにかは、やはり水たまりだった。
 わかりきった答えに、唇から笑いがこぼれた。

 あした彼女に話してみよう。この暗いなにかのこと。

 ああ、彼女はどんな顔をするだろうか。

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