「それは、白の宝珠の巫女様が本当は男のかただっていうのと、関係あるのかい」
その台詞にクリスが絶句したのが、一瞬。
硬直が解けたあとの行動もまた、一瞬だった。
「……ああ。やっぱりそうなんだ」
エドマンドはごく無表情に呟き、それから両の手をひらいて肩の高さまで持ち上げた。
友の胸許に使い込まれた短剣の切っ先を突きつけたまま、ごく低くクリスは宣告する。
「誰かに話したら殺す」
どこを探しても躊躇いの見当たらない己の心のありように、クリスは胸中で苦く嗤った。友を刃で脅すことに、傷つく誇りすらもはやない。
「誰に聞いた。どこで知ったの」
「……誰にも言ってないし、誰に聞いたわけでもないよ」
無表情を変えずにエドマンドは答えた。
「僕が勝手に、もしかしたらと考えてただけ。さっきのはだから、ほんとは全然自信なかったんだ」
驚愕にクリスは目を瞠る。
かまをかけられたことに怒ってもよかったのだろうが、それよりもその台詞の内容のほうがクリスには重大事だった。
事情を知るクリスが見ても、エアリアスの演技は常に完璧だった。あの偶然がなければ、きっと今でも真実を知ることはなかったはずだ。
それを、たった半日接しただけのエドマンドに看破されるなど、あり得ていいことではない。
「どうして? 判るわけない。あんなに完璧だったのに」
当然の問いに、だがエドマンドはふいに表情を崩した。伏せた睫毛の下で視線が泳ぐ。
「エディ?」
「たしかに完璧だったと――思うよ。きっと、ユーリグも他の奴らも全然気づいてやしない」
「だったらどうして。なんでエディだけ気づいたの」
「僕は」
言いかけて、苦いものでも飲み込むように、エドマンドは不自然に言葉を切った。
「僕は、……僕だけ、傍にいたから。君を庇って巫女様が駆け出したときに。そこにいたのが僕だったから、だから気がついたんだ」
「なにが言いたいかわからない、エディ」
要点の見えない台詞に、苛立ったクリスが声を荒げる。
「同じだったからだよ」
視線が突然に、クリスにひたと据えられた。
つねには悪戯っぽくきらめく若草の瞳が、いまは苛烈なほどの眼光をやどしている。
「巫女様のそのときの眼と。僕がいつも君を見ている眼が、同じだと判ったから」
エドマンドは右腕を伸ばして、そのてのひらでクリスの頬に触れる。
「そして君も――」
まるであわれむようなまなざし。
「君も同じ眼をしてた。あのかたに――白珠の巫女様に、恋してる眼」
(騎士様は、恋をなさったことはありませんの)
短剣がクリスの手から落ち、石の床でかつんと跳ねた。
「……知らなかったろ? ずっと君が好きだったんだよ、クリス」
クリスの頬から手を離し、身をかがめて短剣を拾い上げながら、エドマンドは横顔を見せて笑った。
「望みがないのわかってたから、言うつもりなかったけど。好きな子と恋敵をくっつけるためにばらすってのも、凄絶に僕らしく馬鹿だよね」
短剣を小卓に載せるとクリスの肩を押し、なかば強引に寝台に掛けさせる。自分は寝台から半歩離れた壁際に椅子を動かして、壁に背を預けて座った。
「あのかたも君が好きだよ」
断定する物言い。
「知ってた?」
一瞬の間を置いて、クリスが頷いた。
「……うん。そう言われた」
「君もあのかたが好きだよ」
再びの断定に、今度はクリスは眉を寄せる。
「違うかい?」
「……わからない」
「じゃあ、巫女様のそばにいたい?」
覗きこむように、低い位置から視線を合わせてエドマンドは問う。
答えは、考えるより前にするりと口をついた。
「――居たい」
エドマンドがゆっくりと笑む。
「それならどうして、辞めてきちゃったのさ」
「……だって私じゃ駄目なんだ」
クリスはぎゅっと、唇を噛みしめた。
「私だと、エアは私を護ろうとしてしまうから。あのままいたら――いつかきっと私のためにエアが怪我をする」
暴れる馬。裂けた緋のマント。あのときの恐怖が忘れられない。あんな想いをまたするくらいなら。大切な大切なあの人をまた危険に近づけるくらいなら。
「それくらいならそばにいられないほうがいい――まだいい」
立場だとか誇りだとか。そんなものの為に辞めたのではなかった。
偽りの理由を告げてエアリアスを傷つけたことも、寄せられた想いをはねつけたことさえも、すべてただひとり彼の為だ。
「そうまでしてあのかたを護りたがる理由、クリスは自分でわかってる?」
「それは――」
エアリアスが白珠の巫女だから。巫女の守護騎士たる己の、唯一の主人だから。――その答えを口にする前にクリスは矛盾を見つけた。それでは、辞任だけは決して出来ない。あるじとして騎士としてだけ存在するのならば。
「それは、私が」
(私は、貴方が好きだから)
「――私が、エアを、……好きだから」
口にするのと同時に納得する。
それが、本音だ。
ただそれだけだったのだ。
「やっと言ったね」
エドマンドがにっこりと微笑んで、クリスの髪をなでた。
「とりあえずしばらくは決定待ちの謹慎だろ。やっと自覚したみたいだし、その時間でいろいろ考えてみるんだね。ほんとにずっと離れていられるのかどうか、とかさ」
今日はもう休むといいよ、そう言い置いて立ち上がったエドマンドを、クリスがちいさく呼び止めた。
「迷惑かけてばっかりで悪いんだけど……ひとつお願いがあるんだ」
恋をしたことはないのかと問うた少女と、もう一度話してみたかった。
その月の終わる頃、フェデリアの下級貴族の男がひとり、王都から消えた。
数十年ぶりの王都追放令に、退屈な貴族たちはひとしきりあれこれと噂話の種にしたが、それもごく短い期間のことであった。
ひと月と経たぬ間に浮上した新しい噂が、あっという間にその話題を駆逐してしまったのだ。
曰く。
月の末に開かれるスタイン家の夜会において、フェデリア騎士隊の華「白珠の騎士」クリスタル=リーベル=スタインの婚約者が発表される――と。