Century20 CARD XIII ―死神を見た夏―


 ぎらぎらと太陽は容赦なく照りつけ、蝉は声も嗄れよと鳴き続けている。
 そんな真夏日の中、しかもまだどこの店も開いていないような時分にもかかわらず、背後の公園に吸い込まれていく人影は先刻から絶えない。白い帽子、白い日傘、忙しく汗を拭うタオル。
 夏の、この時期、この街は旅人で溢れる。
 はたから見れば自分も、それらの訪問者のひとりであることに思い至って、彼――瀬能朔はなんとなく面白くなさを感じた。
「ったく、暑いのぅ」
 語尾に久しく使っていない郷土訛りが混じったのは、たぶんそんなことを考えたせいだ。
 隣で相棒が、くすくすと笑みをこぼした。
「毎年同じことを言ってる」
「毎っ年あちぃんだから仕方ねーだろ」
 そんなやりとりすら、恒例のものだ。赤い野球帽を団扇代わりにあおぎながら、朔はベンチの背に体重をかけて伸びをした。
 蝉は相変わらずうるさい。すぐそこに緑多い公園があるのだから、仕方のないこととは言え、ずっと聴いていると暑さが増幅される気さえしてしまう。
 公園で今は青葉を豊かに茂らせているそれらの木々の多くが桜であることを朔は知っている。公園の東端を区切る川に沿ってもまた、桜はずらりと並んで植えられていた。春、この公園は花見の名所として夜昼問わず賑わう。
 川に向かって置かれたベンチに座す瀬能朔と高都匡の頭上に陰をつくっているのも、その桜の一本だ。
 けれどその桜が満開に花をつけた姿を、朔は一度も見たことがない。これからも目にすることはないだろう。
 その下に埋まっているもののことを想わずに、桜の花を――その淡い淡い紅のいろを見ることは出来そうにないから。
 だから朔の記憶にあるこの公園の桜といえば、真夏の青葉の色と蝉の声ばかりだ。
「……でかくなったよな」
 かたわらの桜木を見上げて朔はひとりごちた。
 声に反応したのか匡が視線を向けた。しばらく朔の顔をじっと眺めて、また正面に向き直る。
 長いのか短いのかよくわからない沈黙。蝉の声。旅行者の話すざわめき。
「……後悔は、しないの」
 なにを、と朔は訊き返しはしなかったし、匡もつけたして言いはしなかった。
 二人並んで、ただ陽光をはじく川面を眺めていた。
 あの日、死体で溢れた川だった。

 死の大地だった。
 なにもかもが死にまみれた焦土にあって、ただひとり彼だけ異質だった。
 力尽きて倒れた地面から見上げた、傷ひとつないその白皙の面が信じがたく美しく見えた。神々しいほどに。
「一緒に行こうか」
 差し伸べられた腕と、言葉。
 それはうつくしい死神の誘惑。
 からだとこころと、それだけを残して、瀬能朔という人間のすべてを死神の鎌は断ち切った。
 あの、熱かった日に。

 サイレンが唸った。その時を告げて。
 ざわめきが消えた。蝉の声さえ消えたように感じた。
 瞑目した朔の耳に鐘の音が届く。鎮魂の鐘。繰り返しくりかえし。幾度も。
 祈る資格はないのだと心の底から知っている。それでも祈った。
 毎年の祈りを、今年も祈った。

 黙祷の一分間が過ぎて、ゆっくりと目を開けた高都匡は確かに聞いた。
 立ち上がりしなの瀬能朔の返事を聞いた。
「しねーよ」
 怒ったような声音。
「おまえがいるだろ」
 匡も立ち上がる。微笑んだ。
「……行こうか。今夜は忙しいよ」
「どーせ恒例行事じゃん。雑魚ばっかだろ。まぁ、まーかせときなさいって」
 朔は野球帽をかぶりなおして不敵に笑った。そうして二人は、夏の日差しの下を歩き始めた。

 時刻は、午前八時十八分になろうとしている。


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