花迷宮放浪記 - Diary - 2000年12月

12月1日

映画館に行くと時々気になるんですが、昔の映画館のスクリーンってもっと巨大だった気がしません?
昔っつったってたかだか15年前くらいの話ですけども。
単に私がちびっこかったからそう思いこんでるだけかなぁ。
子供の頃見た夕日がアフリカサバンナ映像で出るくらいに(笑)でかく憶えてるのと同じ理屈?

実際に巨大スクリーンで見たのは最近では大学講堂で、でした。
ホールの二階席で見る映画(しかも無料)というのも考えたら面白い経験かも。
(↑『イングリッシュ・ペイシェント』でした。良かった。)

【11/30 読書記録:ブルー・インフェリア1・2】

12月3日

なにかを「好きだ」と言うこと。
なにかを「嫌いだ」と言うこと。
とてもカンタンなこと。
でもときどきとても難しい。
それを好きな自分に自信がなければ、
それを嫌いな自分を誇れなければ、
誰にも見せずにしまい込むだけの想いに、たやすくなってしまうから。

【12/2 読書記録:癒しの葉8(最終回!)】

12月4日

感情ってもんはもうどうしようもない困ったちゃんで、
持ち主にだって制御することは出来ないんだよね。
喜び悲しみ快不快嬉しさ憎しみ嫌悪幸せ、エトセトラ、エトセトラ。
それを「思う」こと、「感じる」ことだけは誰にも、自分にも止められない。
そんなふうに感じてしまう自分を、殺してやりたいほど憎んだとしても。
どれだけ理性が、ここではこう思わなきゃいけないと叫んだとしても。
人間に出来るのはただ、その感情を他者に見せるか見せないのかを選ぶことだけ。
見せないと決めても溢れてしまうことも、見せたくても伝わらないこともあるけどさ。
伝えかたと隠しかたをみがくのが結局、感情を制御するってことの意味なんだろうな。

貴方がなにを感じなにを思うかは、貴方にすら決められない貴方の心の聖域。
それ自体を否定することは、生きていることを否定することにほかならない。
でも、ただ「感じる」のと、それを他者に「見せる」のはぜんぜん違うことなのよ。
感じるのは罪ではなくとも、見せてしまったら罪にもなってしまうこともある。
「そういうことを考えてはいけない」という叱責は、
ほんとうは「そういうことはたとえ考えても人に言ってはいけない」ってこと。
その想いを抱える貴方を否定はしないけど、その想いで人を傷つける貴方は軽蔑するわ。

【12/3 読書記録:楽園の魔女たち〜星が落ちた日/NEO】

12月22日

祝! 卒論提出〜!!

12月24日

きのう、年末年始用のトップイラストを設置いたしました。
とりあえずすべり込みセーフ?
ほんとはお年始用はまた別に描きたかったのですが、
それだとあまりにもこの絵を載っけておける期間が短くなるのでやめました(笑)
クリスマスらしくも新年らしくもない絵柄ですが、まあいいにしてくださいな。

さて、次はいい加減お待たせしまくってる『白珠の巫女』書かないといけませんね。
来月中には次の章をお見せできるかと思います。どうぞ、お楽しみに。

【12/23 読書記録:烈光の女神1・2】

花迷路
Akiary v.0.51