花迷宮放浪記 - Diary - 1999年11月

11月2日

一週間近く前のことになるけど、赤くて巨大な月を見た。
嘘だろう、なんて思わず呟くほど大きくて、そしてまがまがしい色をしてた。
あの黄みの強いオレンジは、ほかのものの色としてならとても綺麗なのに、
どうして月だとあんなに不気味なんだろう?
空の低いところにある月が赤く見える、科学的な説明があるのは知ってる。
でもなんだか、人の世界に近すぎて、人の世の中に染まってしまった姿のように思えてしまう。
だって空の高みにのぼったおなじ月は、せいせいしたとでも言いたげにつめたい白なのだもの。

【11/3 読書記録:覆面作家の愛の歌】

11月3日

開幕二日目のバレーボールワールドカップを見てました。(いや、テレビで、なんだけど)
しかし、バレーボールってほんと大幅にルール変えたよね。
リベロ導入に続いてラリーポイント制になって、ネットインサーブもありなんて。
見ているほうもついていくのが大変だわ。
個人的には、サイドアウト制のほうが緊張感があって好きなんだけどなぁ。
「ああ、いつになったら決まるんだ!」ていうじりじり感がたまらない。

まぁそれはとにかく、今日の試合はなかなかすごかった。
なにせ、2セットとられてからの逆転劇。ファイナルセットもたった2点差の勝利!
正直言って、こりゃ駄目かと途中で思ってしまった。だから感動したなぁ。
やっぱり、スポーツはすごいですね。頑張ること、諦めないことは大切だって、素直に思えます。

【11/2 読書記録:復讐の船】

11月4日

そろそろ七五三ですか。
三歳のとき、晴れ着着て千歳飴食べたなぁ。姉のお古だった気がするけど(笑)
七歳のぶんは、弟の五歳とあわせて六歳の時やってますし(……)。さすがにもう着物着なかったが。
こう考えてみると、家の家族って年中行事やら通過儀礼やら季節の行事やらなかなか好きなようです。
あんまり真剣じゃないんだけど、まじめに楽しんでるって感じかなぁ。
初詣行って、おせち食べて、七草粥食べて、鏡開きして、とんど焼き行って。
豆まきして、お雛様出して、ぼたもち食べて、お花見行って、柏餅食べて、鰻食べて。
花火して、お墓参り行って、おはぎ食べて、お月見して、クリスマス祝って。
年賀状描いて、大掃除して、年越しそば食べて、除夜の鐘を聴いて……。
(なんか食ってばっかしかも・笑)
ばかばかしいって言う人もいるかもしれないけど、楽しいし季節感はたっぷりあるし、私はこういうの大好きです。
同じ阿呆なら踊らにゃ損ってやつだわね。
さて、この先はとりあえずクリスマス&年末年始? さぁいっしょに踊りましょ。

【11/3 読書記録:少年魔法士2〜5/C.Darwin1・2】

11月8日

ふと気がつくと、ちゃんと前を向いて歩いていることってけっこう少ない。
実は視線は、意識しないと足元を見ていませんか。
自分がわりと足元の弱い(よくぐきぐきやるんだこれが)ほうだからそうなのかとも、思うけど。
きちんと顔を上げて歩くのって、意外と意識しないと出来ないことなのかも。

でもたとえ顔を上げてたって、なんにも見てなかったら変わらないけどね。
下を向いて歩いてるから気づく、草木とかだってあるし。
でも前を向けば空が見えるよ。
関東平野の山のなさはいつまでたっても馴染めない風景だけれど、
上じゃなくて、前に空があるのは、ちょっと素敵なことかもしれない。

【11/7 読書記録:詩篇69】

11月10日

最近の日本人は間違った「すみません」を使い過ぎだ、って文章を以前どっかで読みました。
たとえば落とし物を拾ってもらったとき。
お礼の言葉である「ありがとう」を言うべきなのに、謝罪の「すみません」を使う。
これはおかしいんじゃないか、って話です。
そう言われると確かに、お礼言う場面で「すみません」使うのよね。
でもこれは、「ありがとう」と「すみません」の語感の違いがまずあると思う。
ありがとう、って馴れ馴れしいというか、親しげな言葉でしょう。
ありがとうございます、って言えば丁寧になるけどね。
でもありがとうございますまで言うと、ちょっとへりくだってる気がしなくもない。
その点、すみません、は見知らぬ人にも言いやすい言葉。
だから、ついぽろっと出てしまうんだろうな。
たぶんそのときの意味は「お手を煩わせてすみません」ということなんでしょう。
だから、お礼の代わりに言っていけない言葉でもないだろうと思います。

ただ、言われる身にしてみれば。やっぱり「すみません」より「ありがとう」が嬉しいかな。
そう思うので、言えるときには「ありがとう」を使おうと努力中です。わりと難しいけど。

【11/9 読書記録:燃えよペン/風の万里 黎明の空(上)】

11月12日

昨日は111111って日だったんですよね。
なんか記念のものゲットしとくと面白かったかなぁ、なんて思います。
1999年とか2000年とか21世紀とか、このごろ暦のキリがいい(笑)時代だ。
私はそういう年になったからとか、新しい世紀になったから、なにか変わるとかは考えません。
あたりまえだけど、暦ってのは時間を数える道具なだけだものね。
暦がなくても時間は過ぎてくし、数える方法も一通りだけじゃあない。
だからイエスさんが生まれたらしい日から数えて何年目だからとか、
日本の天皇が代替わりしてから何年目だからとか、
そういうことでその年が良かったり悪かったりはしないと思う。
もちろんそれは私個人にとって、という話なのだけど。

でも、「2000年? だからナニ?」って鼻で笑って終わっちゃうのは面白くないのよね。
せっかく世の中が足並みそろえて騒いでるのに、わざわざ避けて歩くのも勿体ない。
そういうのは適当に面白がっちゃったほうが、人生楽しくなるんじゃないかな。
世間さまのマニュアルに流されるっていうのとは別な話で、ね。

【11/11 読書記録:やじきた学園道中記4/大甲子園5】

11月15日

自分の気持ちに素直になるというのは大事なことだと思うけど、
それは「いつも"素の自分"のままでいる」ってことじゃないと思う。
だって、人前ではかっこいいふりしたいっていうのが私の素直な感情だもの。
本当は厭なのに自分を押し隠しつづけるのはそりゃあつらいけど。
空元気もいつか元気になるって信じて強がってみせるのも、まっとうに前を向いた生き方だよね。

そもそも"素の自分"ってなに? ほんとにあるの?
ひとりでいるときと家族といるときと社会にいるときで使い分けてる顔は、
素顔にかぶるたくさんの仮面なのかな。
そうじゃないと思うんだ。
「自分の顔」って多面体の、どれかひとつの面を選んで見せてるってことじゃないかな。
あるいは、たったひとつの「顔」にいろんな方向から光を当ててるだけじゃないかな。
「嘘」じゃなくて「一部」なのよ。それ全部ひっくるめて「自分」なの。

そして、その光を増やそうとするのも、
できるだけ同じ光ばかり使おうとするのも、
みんなに全部のパターンを見せようとするのも、
ぜんぶ在っていい生き方だと思う。まるっきりの嘘の仮面をかぶらなければ。

【11/14 読書記録:図南の翼】

11月16日

おめでとう全日本! 中国にストレート勝ち!

というわけでこのところずーっとバレーボールW杯にはまってます。
世界大会ごとにテレビにかじりつくのはもはや習慣と化している……。
バレーボールは小中高と細切れながらやっていたので、たぶん一番思い入れの深いスポーツです。
あと思い出すのは、高校の春秋のスポーツ大会。
2・3年のときのクラスは、いやはやスポーツめちゃ強でして。
私はずっと女子バレーに出たのだけど、結局優勝2回2位と3位が1回ずつ。
3年のラストの大会なんか女子バスケ・女子バレー・男子サッカーの三冠獲りましたよ。
もちろん全員参加のこと、得意な人もいれば初心者もいる。
でもみんなで声を掛け合って、励ましあって、つないでつないで頑張った優勝だった。
ラリーが続いてるときの、あのじりじりとした緊張感は忘れられません。
たかがクラス対抗、かもしれないけど、ほんとに楽しかった思い出。

【11/15 読書記録:紅茶王子6・7】

11月17日

ポケットを叩いてもビスケットは出ないけど、私のふでばこからはいろんな物が出てきます。
ボールペン9本(Hibrid 黒・赤・青2・金・白・深緋、HITEC-C オレンジ・茶)。
シャープペンシル2本(sharaku0.4、FUNCTION357)。
シャープペンシル芯2ケース(eno 0.4、uni 0.5)。
消しゴムふたつ(Hi-POLIMER SOFT、ノック式)。
蛍光ペン1本(PROPUS2 オレンジ)。
油性ペン1本(マッキー黒)。
鉛筆1本(Hi-uni HB)。
カッターナイフ。ガチャック。はんこ。スティック糊。ミニはさみ。15cm定規。
……と、こんな具合です。

【11/16 読書記録:下弦の月3】

11月19日

罪悪感というのは、人間の最後の砦だと思う。
たとえどんな悪いことをしてしまっても、それを罪悪だと感じる心があれば、
良いほうに戻れる希望は絶対にある。
でも、悪いことを悪いことだと、本当に感じなくなったらおしまいだ。
こういう風に言うと別世界の話みたいだけれど、
罪悪感が失われていく、っていうのはとても身近な困った問題だと思ってる。
普通に生活してて、まったく良識にもとる行動をしないでいることは、
不可能じゃないけどでも少し難しい。
そういう時に心にちくちく刺さる罪悪感とか良心の声とかは、やっぱりつらい。
でもせめてそのつらさくらい受け止めないと駄目になるんじゃないかな。
「みんなやってるから」とか、いろいろ言い訳してごまかしたりして。
それが言い訳だって判ってるならまだましかもしれない。
そのうちに言い訳でなく正当な理由になって、悪いことだなんて思わなくなってしまう。
それは、とても怖いことだ。
そして、とてもよくあることでもある。
それが「世の中の流れ」とか「世代の違い」ってものだって、人は言うんだろう。
自分がとても保守的で頑固だってことは知っている。
でも、やっぱり怖いんです。

【11/18 読書記録:ステップファザー・ステップ】

11月22日

よっしゃあビンゴ!! って感じ(笑)

なにかって、本日のギリシア語のテストですね。
和訳問題全部文章ごと憶えてたので、まず間違いなくクリア。
しかしここ数日、ものすごっく久々に、めちゃめちゃ気合入れた勉強をした気がします。
いや、勉強というより暗記かな。
「勉強」なんだったら、直前に根詰めたって長期的にあんまり意味ないですもんね。
なんというか、高校時代の世界史テスト対策を思い出す……。
1or2センテンスの和訳という問題を、200文以上暗記したことになります(全部憶えたかどうかは怪しいが)
ま、人生時にはこれっくらい無茶な詰め込みやってみるのも面白いよね。

けど、途中から手がめちゃくちゃ痛かった……今でもまだちょっと強張ってます。

【11/21 読書記録:旋風の生まれる処(上・下)/風迷宮】
↑試験勉強しててこれかい?

11月26日

外見で判断するのなんて当たり前、っていう台詞をどこかで読んだ憶えがある。
すごく乱暴な言い方ではあるけど、それはけっこう正しいと思うのよね。
人の外見には、確かにその人にはどうしようもない部分もある。
だけど、自分で選んだ結果っていう部分も、すごく多いはずだ。
たとえば髪型。髪の色。化粧。眉。アクセサリー。服。服の着かた。姿勢。表情。
人の印象、っていうのは、そういうものが左右するところがとても大きい。
それを選んでるのは紛れもなく自分なんだから。
外見だけで判断するな、なんて言ったってしょうがない。
そう判断する材料を、提供してるのが本人なんだもの。
だから、自分の外見には、責任を持とうと思ってる。

花迷路
Akiary v.0.51