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<2月1日>
久しく空を見上げることを忘れていたよ。
なんて台詞が、よくあるでしょう。
しかしそんなに忘れられるものかなあというのが私の正直なところ。
空って世界で一番、毎日見てても飽きないものの一つじゃないかと思うのです。
わざわざ見上げなくても、普通に暮らしていれば空はそこに、あるでしょう?
それとも都会では、空は見上げないと見えない高みにしかないのでしょうか。
私が好きなのは夕焼けと月と星空。
表情が多いぶんだけ興味も尽きないのでしょうね。
幼い頃見た夕焼けの記憶は、太陽が怖いくらいに大きくて不思議。
【1/31 読書記録:晴天なり。/黒い聖母と悪魔の謎】
<2月2日>
香りのお洒落は、上級のお洒落といいます。
そのことに異存はない。
すれ違う時にふわりといい香り、なんて、大人の女のかっこよさよね。
だけど上級ということはそれだけ難しいことでもあるわけで。
香りのお洒落は簡単に、臭いの暴力にもなってしまう。
香りに対する好みは個人差があるし、なんであれ「香りもの」がだめって人も割といる。
臭いを(不自然な仕草でなく)遮断するというのはかなり無理があるから、
その臭いが厭でも、逃れるすべは遠ざかることしかないよね。
自分の香りを持つということはかっこいいと思うけれど。
つけかたを間違わないように気をつけないと、
とてもみっともない自己中心的なものにしかならないのではと思うのです。
あと蛇足ですが。食事の席に香水を振り撒いていくのはマナー違反。
つけるにしても膝から下にとどめるべき、なのだそうです。
【2/1 読書記録:黒い聖母と悪魔の謎(おわんないったら…)/適齢期の歩きかた1〜3】
<2月4日>
分不相応なことはやるな、というのが。私の信条の一つ。
思いっきり背伸びして手を伸ばして、それで届くものが自分に相応しいもの。
人の手を借りることがすべて悪いとはいわない。
知恵を蓄積し伝えていくのがひとたる在り方だと思うから、教わることは否定しない。
でも人にもらった公式をあてはめて答えを出して、それで終わりじゃ人生楽しくないよ?
どうやってたどりつくか、そのプロセスも楽しみだし糧になる。
背伸びして届くものなら。肩車は欲しくない。
自分がもっと大きくなれば手に入るものなら。やせ我慢でも待ちましょう。
【2/3 読書記録:ドカベン4〜6/来たれ、壊滅の夜よ/マリア様がみてる】
<2月6日>
ふと気付いたら一人称は「あたし」から「私」になっていました。
自分のことを「あたし」って言うのは多分物心ついて以来で、
方言の「うち」は使わなかったし自分で自分の名前呼んでたのは憶えがないほど昔だけ。
そういうわけで「あたし」とのつきあいが一番長い。
もちろん文章にするときは昔っから「私」と書いてますし。
敬語使う場面で「あたし」なんてまさか言いやしませんでしたが。
日常会話で「私」と言うようになったのは大学入ったころだと思う。
特に意識したわけでもないのだけどね。
方言を喋らなくなったのにも関係あるのかもしれませんが。
不思議なものです。
【2/5 読書記録:マリア様がみてる/ちょー海賊/ドカベン11〜13/HUNTER×HUNTER4】
<2月8日>
すごくどうでもいい話。
「1日」「4日」「8日」みたいな日付のことを、
いちにち、よんにち、はちにち、とか言われるとぴきっときます(笑)
ちっがっうっだろいちにちじゃなくてついたちだろ!! て感じで。
昔からいいならわしてる言い方がすべて正しいのだとまで言わないけど。
これはまだ違和感がものすごっくありますよ。
30日をみそかとは言わなくなってるし、そのうち消える言い方かなあとも思うけど。
なんかやっぱり厭だなあ。
とかいいながら「ら抜き言葉」を使っては弟に突っ込まれたりしてますけどね私(爆)
ら抜き言葉にしたって、書き言葉で出てくるとまだかなり厭。
私はわりと、頭が古いのは自認してますが。
歴史のある言いまわしってやっぱり綺麗だから、残って欲しいなあ。
【2/7 読書記録:碧きエーゲの恩寵/ブルー・インフェリア1・2】
<2月9日>
昨日(てーか今朝だよ)午前2時ごろまで描いてたカラーイラストが、
どうしようもない出来になってしまってもうめちゃくちゃ悔しい。
結構時間かけたのになあ。水張りして、別の紙に下絵描いてトレースして。
カラーインクは難しいです。修行不足。
さて閑話休題。
なにか文章を書いているところを人に覗かれるのが嫌いだ。
落着かないし気恥ずかしい。
書いては消したり、途中で考え込んだりするそういう過程は見られたくない。
小説書いてる時が一番厭。もう恥ずかしくってサイアク。
隣で読まれてたりすると手が止まっちゃう。
レポート書いてる時傍に人がいるのも駄目だなあ。
それと自分の向かってるパソコンの画面を覗かれるのも厭。
人が見ないものだなんて思ってないけど。でもメールとかって「私信」じゃない。
ひとの手紙ってのは許可なく第三者が見るもんじゃないでしょ?
「読む」じゃない「見る」くらいのことなら構わないんだけどね。
画面の感じとか、見出しで、ああ今それやってるのねっていうのは私もやるし。
でもチャットでなに話してるの、とか。いきなり横から読まれるのは好きじゃないな。
まあだいぶ慣れたけど。こういう感覚って、私が少数派なのかな。
【2/8 読書記録:秘密の花園】
<2月10日>
今日図書館から借りた(正確には今から借りる)本。
「アーサー王の死」「中世騎士物語」「ニーベルンゲンの歌の英雄たち」「ギリシア神話」。
………ふふふふふ。
(おい自分そろそろ試験前じゃないのか?)
【2/9 読書記録:ブロア物語】
<2月11日>
自分で生活費管理するようになると、食費というのはなかなか痛いんだけど(笑)、
でもやっぱり食生活貧しくしてお金貯めるって発想はできないなあ。
やっぱり食は基本だと思うし。
それ以前に、いろんなおいしいものを食べるのって人生の楽しみだ。
食事しないと人間生きていけないわけで、そしたら食を楽しめるたちのほうが幸せだなーと思う。
(ダイエットしなきゃと思うときだけこの性格が恨めしいけど・笑)
さて今日は、何を作ろうかしらね♪
【2/10 読書記録:西の善き魔女3・4/アーサー王の死/ドカベン15〜19(?)】
<2月12日>
この先社会に出て、大学でなにをやってきたかと問われると答えに詰まるでしょう。
卒業論文の題目なら言えるけれど、多分私にとってそれはほんの「一部」でしかない。
友人関係とかコンピューターとかの、余暇で培ったものを脇によけて、
正規の授業で得たものに限っても、
卒論はあくまでも総まとめよりは数あるうちのひとつになると思っています。
それはこの比較文化学類の特質がそうさせることもあるけれど、
大学に入る前から、決めていたことでもある。
将来の職業につながるかどうかでみれば、文学系の学問なんて一番使えないもの。
教員免許はかろうじて取れる(予定)だけどそれだけで、就職の保証は皆無に等しい。
政治や経済や法律ならば武器になっても、文学や歴史や文化論で食べていくのは至難の技。
それは最初から判っていたことで。
今の就職難の時代にぶつかってしまっているのはすごく不運だと思うけれど、
後悔してることじゃない。
高度な専門性より、職業技能より、
大学で得たかったのは広い知識と、知りたいことを好きなだけ追いかけていい大義名分。
極論すれば大学進学は趣味だと、高校時代には言っていたし今もそれは変わらない。
恵まれた、傲慢な考え方だなとも思います。
でも、手段でなく目的として「学ぶ」事ができるのなんて大学ぐらいだから。
高校のころも勉強自体を嫌ってはいなかったけれど、
知りたいことだけ突っ込めればどんなにいいかと思ってた。
……もちろん大学でだって、受けたくもない授業がなくはないけれどね。
知識欲だけで大学に来ましたと、言える自分はけっこういいと思ってる。
怠け心も強いから、言ってるほど真面目に知識を増やしてるかと言われると痛いけれど。
残された時間は2年。ひとつの「なにか」ができるとは正直誓えない。
だけどその代わり学ぶ楽しさを思いきり満喫することが、私にできる最善だと考えています。
【2/11 読書記録:王女リーズ(雨降ったのに、何でこれだけなんだ……)】
<2月16日>
私は煙草が好きじゃない。
というかもっと積極的に、嫌い、です。
実際、煙草吸ってる人の半径1メートルには近寄りたくないってくらい、
あの煙とにおいは厭なの。
私の姉は喘息もちで煙草でアレルギーを起こすらしいです。
私はそれほどじゃないけど、煙草の煙にさらされてると、
嫌悪感に意識が集中して正常な思考回路が保てなくなる。
煙草が好きで吸ってる人に、やめなさいと言う必要はないと思ってるけど。
喫煙年齢で、健康に害があること知らない人はまさかいないだろうから、
自分で好んでリスク背負うんなら好きにすればいい。
でも、周りを巻き込まないで欲しい。
今ではずいぶんと「嫌煙権」は力を持ってきてるけど、
面と向かって「煙草は遠慮してくれませんか」って言うのはなかなかまだ難しい。
だからそこが禁煙のときはもちろん、喫煙が許可されている場所でも、
煙草を吸わない同伴者がいるときは遠慮してくれると嬉しいなあと思うの。
「煙草いい?」って聞くのはマナーだし、
そう言ってくれると気遣ってくれてるんだなと思ってありがたいんだけど、
そこで「悪いけど吸わないで」って言うのにも、すごく勇気が要るから。
最後に一言。かっこ良さだけの理由で吸ってるんなら、それって馬鹿だよ。
【2/15 読書記録:Photoshop4.0ガイド】
<2月17日>
漢字検定2級合格〜! いよっしゃ。
<2月18日>
そこまで大量に本を読むほうではないけど、
手許に本がないと落ち着かないという点では私は立派に活字中毒。
人との食事の席でまさかやらないけど、一人だとたいてい本読みながら食事している。
……行儀悪いのは知ってるけどさ。
自分でも馬鹿だなあと思うけど、料理してるときでも片手に小説一冊とか、持ってたりします。
煮物とか炒め物みたいな単純作業の間に読むわけ。
テレビ見ながらCMで本読んだりもするし。
もちろん電車なんかの移動時間にも必須!
帰省するときとか前日から読む本の計画を立てる始末。
だからもちろん、就眠儀式に本一冊なんて当たり前。
なんでかなあ。「読む本」があるとすごく安心するの。
ああ、今日はまだ読んでないものがある、大丈夫……という感じで。
そういうわけで読めるものなくなると、きついです。
たいてい本棚から比較的頭に残ってないものを引っ張り出して読むんだけど。
今の寮の部屋じゃ、ストックも限りがあるしなあ……。
どうも空白の時間が怖いらしいのよね私。
考え事とか、すればいいと思うかもしれないけど。
「さて考えよう!」と力んで考えられることなんて底が知れてるというか、
とにかくうまくいくものじゃない。
この放浪記がいい例で、「さて書くぞ」って考え始めたって書けないのです。
何気なく頭の片隅で気にしておくうちに、行動の間隙を縫ってぱっとひらめく。
そういうものでないと私は駄目らしいのです。
だから、必死で「考えること」を探さなきゃいけない空白の時間は、凄く厭なんだなあ。
【2/17 読書日記:ニーベルンゲンの歌の英雄たち/旋風は江を駆ける(上・下)】
<2月22日>
先日の飲み会のなごりか、「みんなの歌」を最近思い出しては口ずさんでしまう。
土曜日には市の中央図書館で曲集を発見して、わくわくしながらめくってました。
うーん、忘れていたいい曲がいっぱいあるなあ……。
「ありがとうさようなら」は誰もが知ってる名曲だとおもうけど、
そのほかにもいろいろ、いい歌がそろってますのよ「みんなの歌」。
あと小中学校で習う合唱曲とか、文部省唱歌って実はいい曲の目白押し。
カラオケで歌うヒットチャートの歌よりこっちの方が実は私は好きだったりします。
曲仕入れとくのでまた歌いましょ、みなさま(笑)
【2/21 読書記録:衣服で読みなおす日本史/黄金を抱いて翔べ】
<2月23日>
好きな花はいろいろあるけど、特別なのはやっぱり桜かな。
ソメイヨシノの、花弁一枚だと白にしか見えない淡い淡いピンクが、好き。
お花見のシート広げて寝転んで見上げる、桜とその隙間にのぞく晴れた空が。
宵闇にうっすらにじむ夜桜の風情が。
「しずごころなく」はらはらと舞う桜吹雪が。
雨の翌日の、地面を覆った花弁の絨毯が。
……そういうのが好き。
死体を食らう花。鬼を呼ぶ、花。……狂気の花。
そんな幻想さえも含んで惹かれます。
きっとそんなの私だけじゃないんだけどね。
今年の桜の季節ももうじきです。
綺麗に、咲きますように。
【2/22 読書記録:二龍争戦/イリアス(すこーしだけ……)】
<2月27日>
私が死んだら、使えるところは必要な人にあげてください。
そういうカードに署名をして持っている。
どうせ焼いてしまう身体だから。綺麗なままで終わることに執着なんてしない。
今事故で死んだらどうなるのかな、ってふと考える。
いったいどれだけの人が泣いてくれるのかな。
20年とちょっと生きてきた証がどこかに残るのかなって。
身体は遺さない。
だけど人生と呼べるような、遺せる「もの」なんてない。
あたりまえでしょう。人生四分の一で、そんなものある人のほうがきっと少ない。
だけどね。書いてきたものなら、私にはあるから。
ここもそう。絵もそう。中学生のころからそんな記録だけは手許に残ってる。
私が死んだら、誰かがそれを読んで。
ああこんなことを想ってたんだねって呟いてほしい。
自然のままに年老いていくことができたら。
ああこんなことを感じてたねって想いかえしてみたい。
感傷は好きじゃないけど、そんなことだけはときどき考えているのです。
【2/26 読書記録:旋風の生まれる処(下)/ミエザの深き眠り】