白珠の巫女

Epilogue


 控えめに扉を叩く音に、クリスは顔を上げた。
 額に落ちかかる髪をかき上げ、応えながら書き物を机の脇に押しやる。
「分隊長。今年の新入隊員です」
「うん」
 扉を開いて敬礼した部下に頷いてみせる。退出した部下と入れ代わりに、どこか緊張した面持ちで入ってきた若者を、クリスはにっこりと微笑んで迎えた。
「入隊おめでとう。きみは今日から私たちの一員だ」
 席を立ちながら、机の上に用意された、磨き上げられたレイピアを取り上げる。緋色のマントは隊長から、そして隊の紋章の入ったレイピアは配属先の分隊長から授けられるのが隊のならいだ。
 作法どおりに膝をついた新入隊員の前に立ち、刀身をさらした細剣を目の高さに掲げて、クリスはふるい祝福の言葉を口にする。
「汝に宝珠の導きと祝福を。われらフェデリア騎士隊の一刀であれ」
 鞘に収めた真新しいレイピアを、恭しく受け取った若者が、宣誓のために顔を上げた。
 プラチナの髪にふちどられた、色白の美貌の中に、アメジストのきらめきがある。
「宣誓を。――セシル=カートネル」
 ほころびかける口許を引き締めて、クリスは促した。
 一年ぶりに間近にする紫の瞳が、往時のままにクリスを見上げた。一時たりと、忘れたことのなかった色だった。
 喜びにかがやく顔いっぱいに少年のような微笑みを浮かべて、セシル――かつてはエアリアス=セシル=ラフィードと呼ばれた青年は、隊への忠誠を誓う口上をなめらかに、歯切れの良い口調で述べる。
「われ、この身滅びるまで隊の一刀たる事をここに誓うものなり。フェデリアにとこしえの栄光を」
 ――それは六年前、まさにこの部屋でクリスタル=リーベル=スタインが口にした、おなじ宣誓の言葉だった。
(やっと)
 つんと鼻の奥が痛むのをクリスは知った。
 立ち上がった若い騎士の、真新しい隊服に包まれた身体を、慣例どおりに軽く抱擁する。あいかわらず細身のその身体は、それでもすでにクリスより高い。
 逢えずにいた一年間がそこにあった。それは巫女を降りた彼が、新しい名と身分を手に入れて騎士隊に入るのにかかった時間だ。
 あの日の誓いを、偽りなく永遠のものにするために。
「……分隊長殿、なんですね」
 複雑そうにエアリアスが笑う。クリスは肩をすくめた。
「そう。まったく、一年も待たせるのだもの。出世しちゃった」
「追いつくのが、ますます大変になってしまいました?」
 首を傾げて確認するように問うのは、変わらない癖だった。
 そんな些細なことが嬉しくて、いとおしい。
「そんなに簡単に、追いつかせない」
 うそぶいて、つんとあげた顎を捕らえられる。指の細い両手に包まれた頬に、ひとすじ雫が伝い落ちた。
「追いついてみせますよ。すぐに。貴方の隣にいるためなら」
 涙に唇を寄せて、そのままそっとエアリアスが囁いた。
「エア」
 クリスはもういちど両手を持ち上げて、緋色のマントごとその背中を抱きしめる。
 呼んだ名のなつかしさに唇が震えた。
「おかえりなさい、エア。……はじめまして、セシル」
 それが、一年前から、きっとこの日に彼に伝えると決めていた言葉だった。
 やっと自分たちは還ってきた。ここから――始まるのだ。
 幸せそうにエアリアスが微笑んだ。すいよせられるようにくちづけを交わした。頬を瞼を蜂蜜色の髪を、白い指がたどった。

「貴方が好きです。――永遠に」

 それをどちらが言ったのだったか、クリスは覚えていない。
 どちらでもいいことだった。間違いなくふたりがおなじ気持ちでいることを、そのときクリスは確かに知っていたのだから。




*






 クリス=スタイン、本名クリスタル=リーベル=スタイン伯爵夫人。父は国務卿チャールズ=グレン=スタイン公爵。693年病没、享年六十五歳。
 最初の女性騎士であり、のちには騎士隊副長として、隊内部の改革に熱意を傾けた。現在のフェデリア騎士隊における女性の積極的な登用、および身分を問わない能力主義は、彼女がその基礎を築いたといわれる。剣術家としてもまた一流で、入隊時をはじめ多くのトーナメントを制し、一時王太子の剣術指南役も務めた。
 金髪碧眼の華やかな容貌と、誰からも愛された明朗快活な性質から後年「太陽の騎士」と呼ばれた彼女の傍らには、月と呼ばれた銀髪の副官の姿がつねに在った。腹心であり伴侶でもあった「月の君」セシル=スタイン(旧名セシル=カートネル)との間に、一男二女。



<Fin.>



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