Century20 CARD ZERO ―愚者の行く末―

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ACT2

(しまった……!)
  紫戒の発生させた竜巻がハイスピードで迫りくる。朔は血の気の引く思いを味わった。
 風の精霊による竜巻だ。小さいが破壊力は相当である。かすっただけでも皮膚を切り裂く真空の渦。――かまいたちの原理、という奴だ。
 避けられない。――やられるか。
(くっそおおおお――っ、タダでやられてたまるかっ!!)
 かわすのは無理と知りつつ、朔は跳躍を試みた。せめて相打ちに持ちこんでやる。このままでは奴に笑われるではないか。……あの口の悪い相棒に。
 だが、朔がすっと身を沈めたのと同時だったか――。
「地の障壁! 朔を守れ!」
 ばあんっ、となにかが弾ける音がした。全身に襲いかかる圧迫感が一瞬にして消滅し、朔は眉をひそめて顔をあげた。
「……なに?」
 不審な顔は紫戒も同様だった。まともにぶつかれば朔の命すら奪っていたはずの竜巻が、いとも簡単にはじかれたのだ。
 そして。
「俺の友人に、あまり手荒な真似はやめて頂きたいな……」
 アスファルトから掌を離して、彼はゆるりと立ち上がる。
「遅いって、おまえ……」
 息を吐き出してぐしゃりと前髪をかきあげる朔に、高都匡はただ笑ってみせた。


 新たに現れたのは、確かに昨晩の少年だ。今日は私服姿だが、長い髪とオリエンタルな美貌を備えた高校生などそうそういはしないだろう。
 美人、という言葉が男の子に使えるとは思わなかったなあ、などと奈央は思ってみたりする。
「何者だ?」
 紫戒、と名乗った青年が眼光を鋭くして訊ねた。
「名を訊くならばまず自己紹介、がセオリーじゃないのかな、この国は」
「なるほど。――紫戒、だ。そちらは?」
「高都匡」
「高都……。そういうことか」
 紫戒の険悪な表情が、徐々に歪んだ嗤いに移行した。腕を組む。
 長い茶色の前髪の奥で、切れ長の目がいっそう細められた。
「まさかまだ高都の名を持つ奴にお目にかかれるとはな。面白くなってきたもんだ……」
「こちらとしても、これほどの精霊魔術の使い手がいるとは意外だが」
「お褒めにあずかって大変光栄だ、とでも言おうかね? さてと……こうなるとこちらが不利だなあ、退くとしようか。また逢うだろうがな」
「――あくまでも戦端を開こう、と?」
「性分でねえ、これは」
 ぱちん、と紫戒は指を鳴らした。無言のまま控えていた己夜がひそやかに人目につかぬようその場から消えた。
「ではまた今度だ」
 つかつかと、急ぐでもなく紫戒は踵を返して立ち去る。去り際にひらりっと振られた手に、朔がオーバーに顔をしかめて見せた。
「あっ!」
 ふいに奈央は声をあげた。えりか。
 角を曲がったところで、えりかはくったりと倒れていた。規則正しい呼吸を確かめて、ほっと奈央は息をつく。気絶しているだけ、だ。
「その子は?」
 匡が肩越しに覗きこんできた。いつの間にやら現れる、というのは彼の得意技であるらしい。
「学校の友達……さっきの傀儡とかいうのに、遭っちゃったらしくて……」
「気絶しているだけ? なら心配はないけど――忘れてもらうほうが、いいだろうな。人間の神経はそうタフじゃないからね」
 えりかを抱き起こしてコンクリートの壁にもたせかけながら、匡は考え込むそぶりで指を口許に当てる。ちらり、と視線を流されて、気づかないフリを決め込みつつ朔はしっしっと片手を振った。勝手にやってろの意である。
 くすりと笑みをもらし、匡はえりかの首筋に手をかけた。ワインレッドのセーラー襟を少しずらして、白い肌を僅かに露出させる。
 わけも判らぬまま見守っていた奈央が眼を円くした。
 奇妙に尖った、匡の犬歯が、滑らかな肌に――食い込む。
 一瞬か数秒かあるいは数分間かすら判らない沈黙。
「あ……」
 思い出した。
 昨夜、あの公園で。気を失う寸前の奈央に匡がしたのも、同じことだった。そうして朝目覚めたときは断片的な記憶しか頭には残っていなくて、てっきり夢を見たのだと思っていた。
 無意識に、右手が首筋に触れる。
「匡はあれで他人の記憶操作できんだよ」
 背後にいた朔が独り言のように説明した。あまり、理解できる範囲の内容ではなかったが。
 え、と振り返り、奈央はふとあることに気づいた。下校時刻の学校のすぐ近くの道路――それなのに、この静けさはなんだろう?
 朔のむこうには一人の姿もない。人声ひとつ聴こえてもこない。
「なんで、こんなに静かなんだろ……?」
「人除けの結界」
 さっきと変わらない口調で、朔が返答する。耳慣れない言葉に奈央は首を傾げた。
「あー、だからさ」
 困ったように頬を掻いて、朔が言葉を探した。意外と親切なのかもしれない。
「慌てないで、二人とも」
 そこに匡の声が割り込んだ。見ると彼の手を支えに、えりかが立ち上がるところだった。
「えりか!」
 呼ぶ声に、えりかはだが反応しない。とろんとした、なにかに酔ったような目。
「家に帰って、眠ったら、あなたはすべて忘れている」
 匡がその耳許に囁いた。こくんと頷いて、えりかはのろのろと歩き始めた。奈央の顔は見もしない。
「えりか。どうしたの」
 詰め寄ろうとする奈央を、匡の腕が制した。
「いま言ったとおりだから。心配は要らない。明日になったら変わらず学校で逢えるよ」
「……記憶、操作?」
 さっき聞いたばかりの言葉を、奈央は舌に乗せてみる。そう、と匡が頷いた。
「ほかに悪さはしていないから、安心してくれるかな。彼女には忘れたほうがいい出来事だ。二度はないしね。――ところで、日比野奈央さん」
「え、……はい」
 いきなりフルネームで呼ばれ、奈央は反射的に固まった。
「失礼。昨日生徒手帳を拝見したので……そうだな、これからちょっとつきあってくれないかな。説明したいことがいくつかあるから。気の毒だけど、あなたにはもう他人事じゃ済まされないことだから。……いいかな」
 穏やかな声音で、匡はそう訊ねた。まっすぐに奈央と視線を合わせて。――すこしだけ哀れむようなまなざしで。
 ごくりと唾を飲んでそれから、神妙に奈央は頷いた。


 北栄高等学校からそう遠くない住宅街の一角に、そのマンションはあった。大きくはないが小綺麗な、高校生には分不相応にも思われるこのマンションの、三階にある一室で高都匡と瀬能朔――来る道すがらでそう名乗った――の二人は同居生活を営んでいるのだという。
 リビングのソファの前に置かれたガラステーブルに三人分のコーヒーカップを並べ、コートを脱いだくつろいだ姿で匡はソファに腰を下ろした。やけに手馴れた様子に驚きつつもなんとなく納得して、奈央はシュガーポットに手を伸ばす。
「たーだいまっ」
 玄関のドアが壁にぶつかるほど豪快に開いて、瀬能朔が姿を現した。奈央の頼みで、えりかが 自宅に無事ついたか見届けてもらったのだ。
「ちゃんと家入ってったぜー、奈央ちゃん」
「あ、はい、どうもありがとうございます」
 ぺこりと奈央は頭を下げる。ソファから首だけ振り向かせて匡が呼んだ。
「いいタイミングだ。コーヒーがあるよ」
 砂糖と粉末ミルクをふたさじずつ入れたカップを手渡す。さーんきゅ、と言って朔は液体の表面をふうふう吹きながら匡の隣に陣取った。どうやら甘党で、おまけに猫舌らしい。
「――さて」
 面々が落ち着いたのを見計らって、匡はカップをテーブルに戻し、軽く息を吐いた。
 白い指を、膝の上でかるく組み合わせる。
「信じられなくても無理はないが……今から言うのはすべて事実だ。すべてのはじまりからずっと見てきた俺の――記憶、だよ……」

◆  ◆  ◆

 いまより五百年の昔。
 日本すべてが動乱に呑まれ戦に明け暮れた戦国の世――その裏側で、常に歴史を動かしつづけた者達がいた。
 後の世に伝わる戦の場には必ずあり、ひそやかに、しかし確実に勝者と敗者とを定めていったひとつの軍団。莫大な金銭と引き換えに戦力と一時の栄誉とをもたらした、無敵の傭兵軍――時の権力者達は彼らを「高都の者」と呼んだ。
 「高都」の人々は人里から隔離された地に"里"を作り、そこで鍛錬する一方、請われれば女子供までもが戦に参じた。高都の里人の戦いかたは千差万別である。剛力をもって敵を砕いたもの、妖の術により戦わずして勝利を奪った者、ゲリラ戦を展開して敵軍を翻弄した子供ら――その強さの裏には、日本各地はては外国との闇交易を基盤とした圧倒的な財力、そして科学力があったのだという。
 ……だが、「高都」の繁栄も終わりを告げる日が来る。徳川幕府による天下平定――それをいち早く察知したのは、何者よりも正確に歴史の流れを把握していた「高都」自身であった。

 ――戦がなくなると。では、我らはどうなる。
 ――また追われるの。日陰で暮らす日々に戻るの。……そんなのは厭。
 ――戻れぬ。我らはもう、ただびとにはなれぬ……

 "高都の者"と呼ばれた人々は、そのほとんどが社会の異端者だった。うまれつき異能を持つもの、肉体に欠陥のあるもの、あるいは肉親を失った孤児……。理由はさまざま、だが皆社会に排除されたことは同じ。高都の里は彼らを受け入れ、戦うすべを教えた。
 もともと高都の里自体、隠れ棲む異能者の集まりとして生まれたのだという。
 だが、戦いの世が彼らに栄光を与えた。平凡な村社会においては迫害の対象でしかなかった能力が、戦においては圧倒的な武力となった。彼らに向けられる視線は蔑みから驚嘆と畏怖に変わっていった。
 ……しかし、それは武力に価値あってからこそ。戦がなくなれば彼らの存在意義は消え、ただ異能の力のみが残される。
 それは高都の里人にとって恐怖ですらあった。
 その狂おしい焦燥のなか、彼らが求めたのは――不老不死。
 いかなる権力者もかつて手にすることのなかったそれを得ることで、高都の栄華を永劫に存続させようと……ほとんど妄執のように、里人達は研究を続けた。

◆  ◆  ◆

「そして、その薬は完成してしまった。幸か不幸か……それだけの財も知識も技術も、高都にはあったんだ」
 それがもたらすのは衰えぬ容色と不死に近い強靭な肉体、そして妖術を操る力。
 これで恐れるものなどなにもない。我らは真の力を得たのだから。――そう狂喜して、里の者は我先にとその妙薬に手を伸ばした。
 だが、薬には致命的な欠陥があった。薬がもたらす力を発揮することは、命の炎を本来の何倍もの勢いで燃やすことに他ならなかったのだ。
「それを補い、生き延びる方法はただひとつしかなかった」
 淡々と匡は語る。その口調に変化はないけれど。
「最初の数年は良かった。食物も水もほとんど必要としない新しい肉体に、皆は有頂天だったし」
 異変は三年ほどのちに起きた。
 秘薬を用いた里の者は一様に、ひどい渇きに苦しめられた。
 気が狂うほどのその責め苦に耐えかねて、彼らが起こした行動は――人間を襲うことであった。眼をぎらぎらと光らせ、ひたすらに人間に牙をつきたて生血を啜る。
 狂乱状態のなか、彼らは知った。秘薬の効果を持続させるためには人間の血液――それも自身と適合する体質の人間のものを定期的に摂取せねばならない。渇きが限界に達すれば錯乱状態と化し、闇雲に人を襲い、自分に合う体質の人間を見出せぬ場合には急激に老化し……ついには死に至るのだ。
 幾度かの発作の末、千人を超えていた高都の里人は数十人にまで減った。生き延びるために里を下りた彼らを待ちうけていたのは当初の思惑とはまったく逆の結末――妖怪、化物と罵る人々による迫害だった。
「いつしか皆は散り散りとなり、目立たぬように社会の陰の部分でひっそりと生活をはじめた。それがこの国に残る吸血鬼の伝説……。そして、俺は」
 匡の両手に、ふいに力がこもった。関節が白くなるほど。
 忘れてなどいない。皆の狂態。自分自身が殺した歳若い少女の面影は、血に染まって倒れ伏したその美しい姿は、今でも脳裏から消えることはなかった。
「俺は高都の長の長子であり――あの狂気を生きぬいたひとり。四百年の長さをこれまで生きてきた。……吸血鬼という魔物だ」
「まもの……」
 奈央は呆然と繰り返す。魔物? 吸血鬼? ――あの緑の髪をした化物と同じだと?
(違う……)
 なにが。
「んでもって俺は五十年くらい前、死にかけてたところを匡に助けられたんだよ。吸血鬼の血ってのはなんでもその秘薬とやらと同じ効果があるんだってさ。それ以来俺は吸血鬼高都一族の仲間ってぇワケ」
 匡から視線を逸らし、わざとらしいほど快活に、朔はそんなふうに語った。
「けっこう楽しんでるぜ、俺は。なんせ歳くわねえわ、ちょっとやそっとじゃ死なねえわ、やたらと体力あるわで、おまけに超能力者! だもんな」
 まるで屈託のない言葉。おそらくそれは、匡に聴かせるためのものでもあるのだろう。伏せた顔の下で、匡はそっと笑った。
「……まあ、そういうことで」
 沈痛な雰囲気を振り払うかのようにこころもち声のトーンをあげる。
「俺たちと、あの紫戒という男は、そういう存在だ。化生の都合に、普通のひとを巻き込むわけにはいかない。それが、あなたに俺達がつきまとう理由だよ。紫戒をなんとかしたあとはもう関わらないから、安心して欲しい。本当は忘れてもらうのがいいんだけれど、あなたに記憶操作は効かないようだから」
「あ、……はい」
 生返事を奈央はする。頭が混乱して、うまく物事を考えられない。
 奈央の様子に苦笑して、匡は白いカップに手を伸ばして口許に運んだ。
(違う、のは)
 映画のワンシーンを見ているような気分で、奈央はその光景を眺めていた。
(……だって人間だったんでしょ?)
(誰も悪くなんか……ないのに)
「困ったな……あなたがそんな顔をしなくてもいいのに」
 奈央の目を覗きこんで、匡はふっと微笑む。なにも言わずに奈央のカップを取って、朔が両手に押しつけた。
 とても優しくて――暖かい。この二人は。
「誰も悪くない」
 唇が勝手に、言葉を紡いだ。
「人間だって生き物を殺すわ。生きなきゃいけないもの。それと同じ、だよね……」
「だからといって同族殺しは許されないさ」
 さらりと匡は言ってのける。笑みを絶やさぬままに。
「ああ、でも心配はしなくていいよ。人を殺さないと生きられないわけじゃない。今はね。――そう、もうひとつ言っておかなければいけないな。あなたがなぜ狙われたのか」
「狙われた……」
「そうだ。手っ取り早く言ってしまえば、奴――紫戒は、あなたの血を欲している。……食糧、として」
「それって……体質が適合してる、とかいうこと? でも死ぬわけじゃないんならなんでそんな、匡さんたちが必死に」
「あなたの場合はね」
 コーヒーカップに視線を落としたまま、ゆっくりと匡が言った。
「死ぬ、ことになる」

「人間にはときどき、普通ではない能力を持つものがいる。朔の言った『超能力』だね。たとえばこの俺。こういう――」
 匡は言葉を切ると、カップを持っていないほうの手をすっと持ち上げた。台所からコーヒーの入ったポットが、あろうことか空中を飛んでその手に収まった。奈央は息を呑む。
 自分のカップに湯気のたつコーヒーを注ぎたすと、匡はそのポットを朔に手渡した。
「こんなことが俺には生まれつき出来る。判りやすいからサイコキネシスを見せたけれど、ほかにもいろいろとあるよ。朔にも出来るけれどそれは吸血鬼の血が後天的にもたらしたものだから、少し違う」
「ちえ、素養もなかったのかよ、俺?」
「馬鹿力くらいかな」
 茶々を入れた朔にそっけなく返す。
「そしてその能力は――奈央さん、あなたにもある」
「……え!?」
 ぽかんと、奈央は口を開けた。信じられないことを聞いた気がする。
「さっき、俺の手を青い光が包むのが見えたでしょう」
 それは事実だったから、奈央は頷いた。ガスコンロの炎のような青光が、ポットを受け取る前の匡の手のまわりにゆらめいていたのを、確かに見ている。
「朔の光の鞭も? 剣のかたちもとる、赤い光だ」
「……うん。見えた」
「普通の人には見えないものだ。オーラと言ってね。……あなたに記憶操作が完璧には効かなかったのも証拠のひとつだ。自覚はなくても、奈央さん、あなたは少しだけ普通とは違う」
「普通と、違う……?」
「そう。そしてそういう人間の血液は、俺たち吸血鬼にとって大きな価値がある。詳しい理屈は正直言って俺も判らない。けれど、あなたのような人間の血液を媒体にして得た生命エネルギーは、吸血鬼ひとりを百年生かすだけの力がある。だがその一方――吸血されたほうの個体は例外なく死に至るんだ。まるで、身代わりのように」
「……初めて聞いたぜ、んな話」
 こころもち憮然と、朔がソファの隅からそんな声を投げてよこした。
「当然だな。俺も始めて話した」
「あーのなああーっ、五十年だぜ五十年!! そんだけつるんでて、なんで今更俺の聞いたコトもねえ話が出てくんだよッ」
「それだけ非常事態だということさ。覚悟しておくことだな。さてと――そろそろ出よう」
「迎え撃つつもりかよ?」
 表情を一転させ、にやりと朔は笑う。
「ああ。紫戒は必ず、すぐにでもこちらを狙ってくる。彼の空腹もそろそろ限界のはずだ。俺たちがいることで諦める気はなさそうだな。――ならば受けて立つしかないだろう?」
 匡の目が不敵に煌いた。立ちあがってコートを取り、黒髪をさらりと揺らして匡は、極上の笑顔をつくってみせる。
「紫戒の思うとおりにさせる気はない。――俺は、高都の長だ。高都の戦士に敗北は許されない。いいな?」
「匡にばっかりいいトコ取らせられねえしな」
 ぽきぽきっとこぶしの関節を鳴らして、朔は軽口を叩く。
 戦闘開始――だ。



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